社会として50年近く「変えよう、変えよう」と呼びかけても、結局変えることができなかったということは、シンプルに日本人の大多数が「脱ハンコ」にメリットを感じていなかったからだ。
では、なぜ感じなかったのか。実は日本の中小企業は、高度経済成長期から爆発的に数が増えた。それは言い換えれば、「脱ハンコ」に切り替えることにそこまでメリットを感じない組織が、日本社会に一気に広まったということでもある。この日本の産業構造が「ハンコ」という古い商習慣を「現状維持」でビタッと定着させた可能性はないだろうか。
そうだとすると、日本の「脱ハンコ」の道のりはまだまだ長い。
これまで述べたように、日本企業の99.7%という圧倒的多数を占める人々にとって、電子承認や電子印鑑は導入した途端にチャリンチャリンとカネを生むほど、魅力的な設備投資ではない。「あったらあったでいいけれど、なくても別に困らねえや」というくらいだ。終了したポイント還元のように、「脱ハンコにしたら○%還元」といった明確な「得」がない限り、日本企業の大多数を占める小さな会社が自発的に「脱ハンコ」に向けて動き出すとは考えにくい。
気合や根性でやめられないのは
「満員電車」も同じこと
実は「脱ハンコ」とまったく同じで、戦後、定期的にやめようと政官民で呼びかけても、一向にやめられないものがもう1つある。それは「満員電車」だ。
高度経済成長期の満員電車は阿鼻叫喚の地獄で、子どもが「圧死」するという痛ましい悲劇も起きた。そのたびに政府や国鉄が「ズレ勤」を呼びかけても、現在に至るまで満員電車は解消されていない。足元でもコロナの外出自粛を経て、すっかり平常運転に戻っている。
満員電車の問題で、定時出社を求める企業や満員電車に揺られるサラリーマンを攻撃したところで、解決できないということは言うまでもない。
「脱ハンコ」を推進したい方たちも、ハンコ業界やハンコ議連、ハンコ好きのおじさんたちなど、思想の異なる人々を攻撃してこの問題を解決しようとするのではなく、日本特有の産業構造にも着目して、ぜひ建設的な議論をしていただきたい。
(ノンフィクションライター 窪田順生)