実は「脱ハンコ」の戦いは、かれこれ半世紀に及ぶ。まあ、「戦い」といっても結果はいつも我々の惨敗だ。「めんどくせえな」「こんなの無駄だよなあ」「もうやめてえなあ」と反旗を翻すも、結局は仕事や生活に欠かすことのできないものとして、ハンコを押し続けるという元サヤにおさまる。たとえば、戦後の復興が進む高度経済成長期の「朝日新聞」の紙面を見れば、わかりやすい。
《都の機構改革きのう発足 行政簡素がねらい 課を充実、ハンコ減らす》(1952年11月5日)
《ハンコを乱用しすぎる_経済気象台》(1953年10月23日)
《「ハンコ行政」改善に「能率官」制度設ける_行政管理庁」(1960年9月19日)
《ハンコいりません 銀行に「サイン時代」》(1962年9月16日)
《くたびれる書類の旅 補助金100万もらうのにハンコ509 山梨県の場合》(1968年7月3日)
定期的に盛り上がっては萎む
「脱ハンコ」ムーブメント
このように、定期的に「脱ハンコ」のムーブメントが盛り上がる。しかし、ほどなくして「そんなことがあったか」というくらい、職場や手続きでハンコが重宝されるようになる。
革新的な技術進歩があっても、基本的にはこのパターンは変わらない。1988年3月14日の「読売新聞」は、「日本が変わる高度情報の時代」という連載記事の中で、OA化が進む自治体が増えたことを受けて、「電子決済でハンコも不要 お役所から伝票が消える」と報じた。
が、それから30年を経た令和の今も、そんなことにはなっていない。つまり、日本の戦後というのは「脱ハンコ」の挫折の歴史といっても過言ではないのだ。
では、なぜ我々は減らそう、やめようと思っても「ハンコ」をやめられないのか。
戦後日本を復興させた先人たちは、意志が弱かったのか。それとも、実は我々が知らないだけで、絶大な力のある「ハンコ利権」のようなものが存在しており、社会にハンコが浸透するように政治や企業に働きかけていたのか。
そう考える方もいるかもしれないが、筆者はそうではないと考えている。