「泣きながら防護服を…」戦場と化した病院 集団感染、職員にも【看護師手記全文あり】

2020年7月2日 06時00分

東京都台東区の永寿総合病院

 永寿総合病院は看護師1人と医師2人の手記を公表した。現場で苦闘する様子と、支援への感謝の言葉がつづられている。
 看護師は「正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいた」と述懐。「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕を見た時は「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と、感謝の思いで涙を拭いたという。
 感染した内科医は携帯電話で妻に「死ぬかもしれない、子どもたちをよろしく頼む」と伝えた。人工呼吸器が外れ、意識が回復した時は「生きていることが不思議でした」。患者や仲間らが「私の復帰を待ってくれている」とリハビリを続け、勤務を再開した。
 湯浅院長は「感染の恐怖と闘いながら、防護服での業務は多大なストレスを伴ったと思う。それでも病棟に向かっていく姿に、掛ける言葉が見つからなかった」と声を詰まらせた。
 湯浅院長によれば、看護師らへの差別も相次ぎ、家族が出勤や通学を拒まれたり、アパートを退去させられたりした事例もあった。職員へのメンタルヘルス調査では、「この仕事に就いたことを後悔している」と答えたのは6%にとどまった。「医療者としての強い気持ちを感じることができた」と話した。 (藤川大樹)

◆仲間を戦地に送り出す気持ち/「頑張れ」の横断幕に涙


看護師の手記は次の通り
 亡くなられた患者さんのお荷物から、これまでの生活や大切になさっていたもの、ご家族の思いなどが感じ取られ、私たち職員だけが見送る中での旅立ちになってしまったことを、ご本人はもちろん、ご家族の皆さまにもおわびしながら手を合わせる日々でした。
 感染の拡大が判明した当初は、患者さんが次々と発熱するだけでなく、日に日にスタッフにも発熱者が増え、PCR検査の結果が病院に届く20時ごろから、患者さんのベッド移動やスタッフの勤務調整に追われていました。
 なかなか正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいました。防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになりました。
 家族がいる私も、自分に何かあったときにどうするかを家族に伝えました。
 幼い子供を、遠くから眺めるだけで、抱きしめることができなかったスタッフ、食事を作るために一旦いったんは帰宅しても、できるだけ接触しないようにして、ホテルに寝泊まりするひとり親のスタッフもいました。家族に反対されて退職を希望するスタッフも出てきましたので、さまざまな事情を抱えながら、永寿が好きで働き続けてくれるこの人たちを何とかして守らなければ、今の業務を続けていくことはできないと強く感じました。
 4月4日、「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕が目に入り、「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と思えました。涙を拭きながら非常口を開けたのを覚えています。支えてくださった地元の皆さまには、本当に感謝しかありません。

 病院の敷地内に掲げられている地元有志一同からの「頑張れ、永寿病院」の横断幕=東京都台東区で

 私たちは、今回のウイルス感染症で多くのことを学びました。
 人の本質は、困難な状況に直面するとよりあらわになることを実感しました。困難な状況であるからこそ、思いやりのある行動や、人を優しく包むような言葉を宝物のように感じました。育児休業中のスタッフが、「メディアで医療従事者が感謝されていますが、私はまだ何もできていない」と話してくれたときは、「その気持ちこそが宝物ですよ」と答えました。
 少し前に、東京都看護協会から、院内感染が起きた他院への看護師の派遣を依頼されました。感染が拡大した頃の自分たちを思い出し、何とかしてあげたいところでしたが、精神科病棟への派遣なので、無理には頼めないなと思っていました。しかし、4人の看護師が志願して1週間の救援に参加してくれました。先週こちらに戻ってきて、「お役に立てるところがありましたので、大変でしたが行ってよかったです」と報告してくれました。
 これまで支えてくださった地域の皆さまのため、支えてくれた家族やスタッフのため、地域の中核病院としての機能を再生させていかなければなりません。私たちはまだその途上にいますが、何よりも安心して医療が受けられる場を提供することが重要であると考えています。地域の皆さま、関連する医療機関の皆さまにおかれましては、今後とも、より一層のご指導とご支援をお願いいたします。

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