強制不妊判決 血の通った救済を急げ
2020年7月2日 06時47分
旧優生保護法下での非人道的な強制不妊手術。東京地裁はこれを違憲としつつ、手術を受けた男性への賠償を認めなかった。提訴が遅すぎたというが、形式的すぎる。血の通った救済が必要だ。
優生思想に立つと、この世には不良な者とそうでない者が存在する。不良な者は子どもを持つべきではない−。一九四八年に施行された旧優生保護法は、そう言っているに等しい。だから、遺伝性疾患や精神障害などの人に本人の同意がなくても不妊手術ができた。旧厚生省は当時、公益目的があり「憲法の精神に背くものではない」と通知していたほどだ。
非科学的・非人道的であり、明らかな差別である。人権上の問題が指摘されながらも、やっと母体保護法へ改正されたのは九六年のことだ。不妊手術の規定も削除された。長く問題を放置してきたのは国家の罪と呼ぶべきである。
東京地裁は原告の不妊手術について「憲法で保障された自由を侵害する」と述べた。昨年五月の仙台地裁は「個人の尊厳を踏みにじった」とし、旧法自体を違憲としていた。こんな判断が続きながら、七十七歳になる男性の訴えが届かなかったのはなぜか。
児童福祉施設に入所していた十四歳のころ、男性は手術を受けた。東京地裁は損害賠償を請求できるのは手術日から二十年間という考え方に立ちつつ、「遅くとも旧法が改正された九六年には提訴できた」という。つまり男性が提訴した二〇一八年は既に請求権が消滅したとの論法だ。
これはおかしい。男性は事情を知らず手術を受けたのであり、当時は未成年である。かつ現在もその被害は継続している。そう考えるべきである。差別的な国策は長く継続されていたではないか。
旧法による最後の手術は二十年以上前の九六年であり、判決の論法ならば賠償を受けられる人は存在しなくなる。社会の偏見や差別が解消されたわけでもない。被害者に一時金を支給する救済法ができ、政府の「おわび」が発表されたのは昨年四月のことなのだ。
手術を受けた約二万五千人のうち、約一万六千五百人は本人同意がなかった。だが、一時金が認められたのは、これまでわずか約六百二十人。高齢の被害者には残された時間も限られる。人権に配慮しつつ、実態調査を進め、本格的な救済を急ぐべきである。「不良」の烙印(らくいん)を押した国こそ、もっと重い責任を負うべきなのだ。
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