テレビの世界、物欲とおさらば 覚悟決めるきっかけになった訃報

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(71)

 妻の家出をきっかけに、私は故郷の佐世保に戻ることを決めました。人間万事塞翁(さいおう)が馬。故郷を離れて40年。20代後半から、テレビの世界でペンを振るって台本を書き、演出も手掛けてきました。就職もせず、無一文から家や車を手に入れた。軽井沢に住むことができた。そんな有形の物は、もういい。

 帰郷を決心する出来事が他にもありました。

 同じ放送作家だった鈴木しゅんじさんが亡くなりました。萩本欽一さん付きの作家集団「パジャマ党」に属し、テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」や日本テレビ「欽ちゃんの全日本仮装大賞」などの人気番組に携わった方です。私に目をかけてくれました。

 糖尿病が悪化し、60歳の若さでした。お別れ会には大物芸能人が参列しましたが、何か空々しくて。テレビ番組であれだけ力を発揮し、台本でお世話になった芸能人もたくさんいたはずなのに、最後は生活に困窮していたとか。寂しい終わり方でした。こんな世界に一区切りをつける覚悟ができました。

 まだテレビの仕事を頼まれていましたが、断りました。きれいさっぱり。30代から蓄えていたひげも、きれいさっぱり。横浜時代から20年乗り回していた愛車も手放すことにしました。これには妻が驚いていたようです。テレビの世界、物欲への執着がなくなった意思表示です。

 「切れる縁もあれば、新たにつながる縁もある」「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」。そんな心境でした。

 で、帰ってきました佐世保。やはりいい。海、空、山、そして友達が待っていてくれました。約40年ぶりの佐世保生活。街に慣れるため、しばらくは軽井沢との二重生活。多少の蓄えがあり、仕事がなくてもぜいたくしなければ大丈夫。無為徒食のまま、生まれ変わったように過ごしました。

 ボーイなき後、家族の一員になった愛犬「レディ」(彼女との出合いは別の機会に)と一緒に海辺の散歩を楽しみ、妻も輝きを取り戻しました。学生時代に好きだった金子光晴の詩を思い出します。

 「喪(うしな)った人生を幾度かかえしてくれた海よ。もう一度」。お笑い系の放送作家が柄にもないと突っ込まれそうですが。

 こうして始まった故郷での暮らし。ある日電話がありました。「海老原さん、落語会をやりませんか」

 小宮ちゃんからでした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年09月10日時点のものです

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