空振り続きのプロデューサー 「風雲!たけし城」で逆転の一撃

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(39)

 いがぐり頭で、相撲とカントリーソングが好きなTBSの名物プロデューサーに酒の席で誘われたのは、1985年だったと記憶しています。「エビちゃん(私)、あのさあ。運動会みたいな番組がしたいんだよ。たけしにちょっと頼まれてさあ。手伝ってくれよ」

 お笑いで天下を取ったビートたけしさんを呼び捨てにしたのは桂邦彦さん。まあ、この方、手掛けた番組はことごとく空振り。たけしさんやたのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)など絶頂期の芸能人を起用した「笑ってポン!」はわずか3カ月で打ち切り。絶望的に訳の分からない番組タイトルの悪さは、たけしさんがDJをやっていた「オールナイトニッポン」でもネタにされました。「おー、いいよ、いいよ」と安請け合いの、いや太っ腹の人。

 当時のTBSのバラエティーはザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」が大看板。「クイズダービー」を手掛けた居作昌果(いづくりよしみ)プロデューサーが担当していました。TBSはもう一つのバラエティーの柱を築こうとしていて、桂さんは起死回生を狙っていました。

 番組開始半年前から始まった制作会議。たけしさんのほか私、作家集団「パジャマ党」の大岩賞介さん、詩村博史さん、「ニセ桃太郎侍」といわれた高橋秀樹の4人の放送作家が集まりました。人間でやる人生ゲームとか、すごろくのようなものとか、アイデアをあれこれ出し合いました。

 当時のたけしさんがたけし軍団の弟子たちに「殿」と呼ばれていたので、城がいいと会議で決定。城に向かって、素人がさまざまな難関をクリアしながら進んでいく-。このアイデアに桂さんは「おー、いいよ、いいよー」。

 「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」の誕生です。横浜のTBS緑山スタジオにある野球グラウンドより広い原っぱを貸し切り、86年5月に番組スタート。金曜午後8時のゴールデンタイムに高視聴率をたたき出しました。「いいよー、いいよー」と桂さんもノリノリ。あまりの機嫌のよさから飲み会が増え、趣味のカントリーソングを聞かされるはめになったのは、遠慮したかったのですが。

 鳴かず飛ばずの桂さんにとって逆転本塁打です。これまでとは全く違う新境地を切り開いたバラエティー番組でした。しかし、86年12月、プロデューサーがいがぐり頭をかきながら、青ざめる事件が起きました。「まずいよ、まずいよー」 

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月01日時点のものです

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