オルレアンの聖女 ジャンヌ・ダルク
12歳で神の声、天使の声を聞き、17歳で剣を手に取り、オルレアンを解放、シャルル7世の即位の手助けをしました。
しかしそのわずか2年後にイングランドの捕虜となり、異端裁判の結果、「異端」として19歳で火刑に処せられた、その劇的な生涯はよく知られていますね。
フランスのナショナリズムの象徴としてナポレオン1世などに称賛されました。
有村架純さんによって芝居にもなりましたね!
ジョーン・オブ・ナヴァール
ブルターニュ(フランスの地方)公妃、後イングランド王ヘンリー4世妃。
今のフランス~スペインにかけてあったナバラ王国の王、カルロス(シャルル)2世と王妃フアナ(ジャンヌ、フランス王ジャン2世の娘)の間に生まれました。
ヘンリー4世とはブルターニュ公妃時代に知り合ったといいます。
しかしヘンリー4世の死後、継子のヘンリー5世が王位に就くと、ヘンリー5世に妖術を用いたとして幽閉されます。
高い身分であったため、幽閉だけで済んだ、といえるのかもしれません。
モンテスパン侯爵夫人
フランスの太陽王ルイ14世の愛妾。王との間にメーヌ公、オルレアン公爵夫人など8人の子を産みました。
しかし度重なる妊娠・年齢もあり徐々に王に遠ざけられるように。
そのころ、ラ・ヴォワザンという、黒魔術で有名な女性と知り合いました。このラ・ヴォワザンはのちに魔女としてとらえられ、裁判にかけられます。
その時、ルイ14世のの心をとらえるための媚薬を1665年に使ったとか、ルイ14世のの心が離れそうになると黒魔術で取り戻そうとしたとか、また王の新たな愛人・フォンタンジュ公爵夫人にも黒魔術で呪いをかけたなどといったことが判明しました。
この不祥事はルイ14世が何とかもみ消しましたが、モンテスパン侯爵夫人はこのことで王の寵愛を完全に失ってしまいました。
その後修道院に隠棲、1707年に亡くなりましたが、ルイ14世はモンテスパン侯爵夫人の子供たちに喪に服すことを禁じたと言います。
アリス・キテラ
アリス・キテラは、アイルランドで初めて、魔女裁判にかけられた人物です。
お金持ちの男と結婚するが、夫に死なれ、通算、4回結婚しました。夫に死なれるたびに財産を増やしていったことを周囲からねたまれたようです。
彼女は、1324年に魔女として訴えられ、火刑にされそうになると、ただちにイングランドに逃亡しました。だが、彼女の召使いペトロニーラ・ディ・ミーズは捕まり火刑にされました。
その際ペトロニーラは、
「自分はほんのかけだしの魔女にすぎない、アリス夫人ほど力を持った魔女は他にいない」
と許しを請うこともなく火刑に処されたそうです。
アイルランド、キルケニーで一番古い家で、現在はパブになっているそうです。
イザボー・シェイネ
ヴィヴァレの裁判所で一六五六年に裁かれました。
イザボー・シェイネの告白は以下の通りでした。
私は十一歳のころ足が悪くなり、なおしてもらうためにドーフィネ地方のモンテリマールの、町のはずれにいる女に会いに行きました。その女は悪魔の力を使って私を直しました。
そして二~三週間後、またそこに戻つて女に会いました。女は私を、あちこちの森や山にあるサバトにつれていきました。
最初のとき、悪魔は私に話をしにやってきて、私に沢山の金をやろうと約束しました。私は貧しかったので、金がほしくて、とびつきました。
実際、悪魔は、何枚かの銀貨を私に与えてくれました。が、家に帰ってみたら、それはツゲの葉でした。
マンテウッチァ・ディ・フランチェスコ
1428年イタリアで、新生児の血で軟膏を作り、サバトに赴いたとして裁判にかけられました。
マリ・ダスピルクエット
1570年ころフランス、アンダイエで裁判にかけられる。
7歳のころからサバトへ通い空を飛んで山羊の姿をした悪魔と接吻をしたと証言。
マリ・ド・サンス
1613年フランスで裁判にかけられる。
手ずから何人もの子供を殺し、人をかまどになげいれたり獣に食わせたり皮をはぎとったという罪状であった。
エルヴィラ
16世紀半ばのスペインで、「魔女」として拷問にかけられました。
その時の会話が記録に残されています。
「裁判官様、何を言ったらいいのか教えてください。……私がどんなことをしたのか、私には全く身に覚えがありません。分からないのです……」
「カトリックに背くことをしたであろう、おまえがしたことを詳しく言え」と裁判官。
「何を申し上げてよいのか……。ああ、許してください。そうです。いたしました。なんでもいたしました。ですから、縄を緩めてください……でないと、腕が折れてしまいます……お願い……」
参考HP
ジャンヌ・ダルク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 、 検索 この項目では、15世紀の フランス王国 の軍人について説明しています。その他の用法については「 ジャンヌ・ダルク (曖昧さ回避) 」をご覧ください。 ジャンヌ・ダルク 1485年頃に描かれた ミニアチュール 。ジャンヌを直接のモデルとして描いた肖像画は現存しておらず、このミニアチュールもジャ…
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No.a6fha200 作成 1998.1 魔女狩りと異端審問の歴史 第1章 “世界の片田舎”としての ヨーロッパ暗黒時代 第2章 約300年間も吹き荒れた 魔女狩りの狂気 第3章 知識階級によって 作りだされた“魔女” 第4章 「異端審問制度」による異端派迫害から 「魔女狩り」への移行 第5章 『魔女の鉄槌』の刊行が 魔女狩りに拍車をかけた 第6章 単なる噂や密告、自白が 証拠とされた魔女裁判…
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