閉じる
閉じる
最近のアニメ・・・・・・・・・、どうも乱発気味というか、とても我々の手では消化できないほどの数を乱発していると感じているのは私だけだろうか??
90年代後半からアニメは革新的な技術である「デジタル」儀ずつが導入されて以降、大幅にされたといっても過言ではない。コレを切っ掛けに多くのものが変わったのだが、代表的なものとしては次のことがあげられるだろう。
まずはアニメのデジタル化によるおのおのにかかる負担とコストの大幅な削減である。
その代表的なものがセル画だ。従来セル画は、一枚一枚アニメーターの手で丁寧に描かれ続けられ、それが深夜帯にまで及ぶとてつもない労働作業となっている・・・・・・という話をどこからともなく聞かされてきたり聞いてきたかと思う。デジタルがなかった90年台初期までは。
しかし、それもデジタル技術が駆使されたことで大幅に変わってきた。簡単に言うと「フレーム補完プログラム」がここ数年間で大幅にあがってきたと言うことだ。具体的には「野球のスローフォームの始まりと終わり」を書いて、その途中の動作を全てプログラムに予測させ、一枚一枚書かせるという技術がいわゆる「フレーム補完技術」である。まだどこか拙いところはあるものの、ここ数年の進歩はもはや従来のセル画による書き上げ技術の「違和感のないレベル」にまであがってきていると言えるだろう。
ほかには、デジタル化によるフィルムの保管のしやすさ、人件費の大幅な削減などがあるだろう。いずれにしても、アニメーション会社にとってはアニメ制作がかなりやりやすくなって来たとも言えるのではないだろうか。
だがその結果、一作品あたりの単価が下がりすぎて「コレこそアニメに」と厳選されていたものが「とりあえずアニメに」という風潮と、それを後押しするかのような「大量制作方式」が蔓延する結果となったことは否めないだろう。
現在、アニメ制作状況と言えば、流れはこうである事が推測できる。
とりあえずアニメを作る→視聴者の反応を見る→2期をやるかどうかを決める
この流れで大きく得をするのは「作り手」で有ることは大いに予想できる。作り手側の視点から見ると、一度市場に出して反応を見る、というやり方はアニメの制作費用がかなり安く抑えられるようになった現在、はじめの一歩であるジャブ牽制としてはとても有効なやり方だからである。
しかしこの手法で大きく被害を被っているサイドが二つある。
一つ目はアニメーターだ。さっきの論調で行くと制作会社がやりやすくなっていることは「アニメーターにとってもやりやすく」なっているのでは?と思う方もいるだろうが、ここには大きな落とし穴が存在している。それが先ほど述べた「大量制作方式」なのだ。
たとえばワンクール(平均12話くらいか)の枠を設けて、制作会社に発注をかければ、それを納期までに仕上げる、という一つの行程を従来はかなりの時間とコストをかけて行ってきた。 デジタル化による変化で、これを短時間で出来るようになったことで、制作単価がかなり安くなり、安価でアニメを作れるようになってきている。その結果、費用の削減対象として人件費が削られ、真っ先に被害を被っているのが「アニメーター」なのだ。

この図を見てもらえば分かるかと思う。物価の上昇と共に、アニメ制作費用にかかる制作費は大幅に伸びているのにもかかわらず、人件費に密接に関わってくる動画制作費はあまり伸びていないのが現状だ。このしわ寄せが大きく「アニメーター」に対してかかってきているのである。現状だと、年収が200万円にも満たず入社員の9割が1年以内にやめて行っているとの報告があるくらいだ。コレを考えるといたずらに今年のアニメは豊作じゃあ 等と手放しで喜ぶことはあまり出来ないであろう。
そして、もう一つはほかでもない、「我々視聴者」である。
「えっ??なんで・・・・??」という声も聞こえてくるかもしれない。確かに多くのコンテンツがそろえばそれだけ楽しみも増え、結果的に多くの共有スペースが増えるかもしれないし、そうなることでアニメ業界の底上げにつながることを考えれば歓迎されるべき事かもしれない。しかしよく考えてみて欲しい。結果的に、それが面白いかどうかを判断するのは我々「視聴者」である。もっと言えば、以前は面白いかどうか、売れるかどうかを厳選していた放送会社に代わって我々が判断しなければならなくなってしまったのである。
それはむしろ良いことかもしれない。私も「思考の停止は自己敗北」という信条をもっている。それがよいかどうかを判断するのはほかでもない、自分自身であるからだ。
しかし、この図を見ても、果たしてそれが「純粋な正論」としてそれが言えるだろうか・・・・・・・??

この図は「深夜アニメに限定」して、アニメの本数を調べたものなのだが、1ケタ程度しかなかった2000年に比べ、2010には6倍もの数にふくれあがっている。
言うなれば60本以上。いくらアニメを好きだとしても、この本数を全て自分の目で確認して、確かめることなど出来るだろうか?
友人の力を借りても、おそらく比較検討されるのはせいぜい7本前後と行ったところだろうか。とてもではないが個人が消費しきれる数とは言い難い程、おびただしい量のコンテンツが
「深夜アニメに限定しても」恐ろしい量が溢れかえっているのである。
制作会社が「威信」をかけて判断してくれていた時代は確実に、みれる量で「面白い」ものに巡り会えていた。しかし、今日に至っては下手をすれば今期のアニメは「見るものがなかった」という、いわゆる虚無状態で終える人もいるのではないかと思う。いずれにしても、あまりの多さに視聴者にとっては「手に余る」状況となってしまい、これでは一つ一つのアニメを判断する時間とゆとりが正直言って、ない。運良く評価されたアニメはDVD(最近はBRがメジャーか)となって、後の世代の記録として残っていくが、せっかく評価されるべきアニメがかなりの量で「消えて」行ってしまっているというのが現状なのである。
ほかの問題点に「アニメ価値の大幅な下落」があるが、コレについてはまたいずれ機会を設けて語らせていただくことにする。
ともあれ、あふれかえってしまった結果、個人には手に余るようになってしまった「アニメ業界」。今後、多くの人に作品を見てもらうためには抜本的なアニメーターの賃金の改善政策
、とりわけ個人が消費できる量の「アニメの厳選」こそが喫緊の課題となるだろう。
90年代後半からアニメは革新的な技術である「デジタル」儀ずつが導入されて以降、大幅にされたといっても過言ではない。コレを切っ掛けに多くのものが変わったのだが、代表的なものとしては次のことがあげられるだろう。
まずはアニメのデジタル化によるおのおのにかかる負担とコストの大幅な削減である。
その代表的なものがセル画だ。従来セル画は、一枚一枚アニメーターの手で丁寧に描かれ続けられ、それが深夜帯にまで及ぶとてつもない労働作業となっている・・・・・・という話をどこからともなく聞かされてきたり聞いてきたかと思う。デジタルがなかった90年台初期までは。
しかし、それもデジタル技術が駆使されたことで大幅に変わってきた。簡単に言うと「フレーム補完プログラム」がここ数年間で大幅にあがってきたと言うことだ。具体的には「野球のスローフォームの始まりと終わり」を書いて、その途中の動作を全てプログラムに予測させ、一枚一枚書かせるという技術がいわゆる「フレーム補完技術」である。まだどこか拙いところはあるものの、ここ数年の進歩はもはや従来のセル画による書き上げ技術の「違和感のないレベル」にまであがってきていると言えるだろう。
ほかには、デジタル化によるフィルムの保管のしやすさ、人件費の大幅な削減などがあるだろう。いずれにしても、アニメーション会社にとってはアニメ制作がかなりやりやすくなって来たとも言えるのではないだろうか。
だがその結果、一作品あたりの単価が下がりすぎて「コレこそアニメに」と厳選されていたものが「とりあえずアニメに」という風潮と、それを後押しするかのような「大量制作方式」が蔓延する結果となったことは否めないだろう。
現在、アニメ制作状況と言えば、流れはこうである事が推測できる。
とりあえずアニメを作る→視聴者の反応を見る→2期をやるかどうかを決める
この流れで大きく得をするのは「作り手」で有ることは大いに予想できる。作り手側の視点から見ると、一度市場に出して反応を見る、というやり方はアニメの制作費用がかなり安く抑えられるようになった現在、はじめの一歩であるジャブ牽制としてはとても有効なやり方だからである。
しかしこの手法で大きく被害を被っているサイドが二つある。
一つ目はアニメーターだ。さっきの論調で行くと制作会社がやりやすくなっていることは「アニメーターにとってもやりやすく」なっているのでは?と思う方もいるだろうが、ここには大きな落とし穴が存在している。それが先ほど述べた「大量制作方式」なのだ。
たとえばワンクール(平均12話くらいか)の枠を設けて、制作会社に発注をかければ、それを納期までに仕上げる、という一つの行程を従来はかなりの時間とコストをかけて行ってきた。 デジタル化による変化で、これを短時間で出来るようになったことで、制作単価がかなり安くなり、安価でアニメを作れるようになってきている。その結果、費用の削減対象として人件費が削られ、真っ先に被害を被っているのが「アニメーター」なのだ。
この図を見てもらえば分かるかと思う。物価の上昇と共に、アニメ制作費用にかかる制作費は大幅に伸びているのにもかかわらず、人件費に密接に関わってくる動画制作費はあまり伸びていないのが現状だ。このしわ寄せが大きく「アニメーター」に対してかかってきているのである。現状だと、年収が200万円にも満たず入社員の9割が1年以内にやめて行っているとの報告があるくらいだ。コレを考えるといたずらに今年のアニメは豊作じゃあ 等と手放しで喜ぶことはあまり出来ないであろう。
そして、もう一つはほかでもない、「我々視聴者」である。
「えっ??なんで・・・・??」という声も聞こえてくるかもしれない。確かに多くのコンテンツがそろえばそれだけ楽しみも増え、結果的に多くの共有スペースが増えるかもしれないし、そうなることでアニメ業界の底上げにつながることを考えれば歓迎されるべき事かもしれない。しかしよく考えてみて欲しい。結果的に、それが面白いかどうかを判断するのは我々「視聴者」である。もっと言えば、以前は面白いかどうか、売れるかどうかを厳選していた放送会社に代わって我々が判断しなければならなくなってしまったのである。
それはむしろ良いことかもしれない。私も「思考の停止は自己敗北」という信条をもっている。それがよいかどうかを判断するのはほかでもない、自分自身であるからだ。
しかし、この図を見ても、果たしてそれが「純粋な正論」としてそれが言えるだろうか・・・・・・・??
この図は「深夜アニメに限定」して、アニメの本数を調べたものなのだが、1ケタ程度しかなかった2000年に比べ、2010には6倍もの数にふくれあがっている。
言うなれば60本以上。いくらアニメを好きだとしても、この本数を全て自分の目で確認して、確かめることなど出来るだろうか?
友人の力を借りても、おそらく比較検討されるのはせいぜい7本前後と行ったところだろうか。とてもではないが個人が消費しきれる数とは言い難い程、おびただしい量のコンテンツが
「深夜アニメに限定しても」恐ろしい量が溢れかえっているのである。
制作会社が「威信」をかけて判断してくれていた時代は確実に、みれる量で「面白い」ものに巡り会えていた。しかし、今日に至っては下手をすれば今期のアニメは「見るものがなかった」という、いわゆる虚無状態で終える人もいるのではないかと思う。いずれにしても、あまりの多さに視聴者にとっては「手に余る」状況となってしまい、これでは一つ一つのアニメを判断する時間とゆとりが正直言って、ない。運良く評価されたアニメはDVD(最近はBRがメジャーか)となって、後の世代の記録として残っていくが、せっかく評価されるべきアニメがかなりの量で「消えて」行ってしまっているというのが現状なのである。
ほかの問題点に「アニメ価値の大幅な下落」があるが、コレについてはまたいずれ機会を設けて語らせていただくことにする。
ともあれ、あふれかえってしまった結果、個人には手に余るようになってしまった「アニメ業界」。今後、多くの人に作品を見てもらうためには抜本的なアニメーターの賃金の改善政策
、とりわけ個人が消費できる量の「アニメの厳選」こそが喫緊の課題となるだろう。
広告
コメントコメントを書く
×
製作コストが安くなった分人件費削られてるのではなくて、
デジタル化でアニメーターの仕事減った分、製作コスト安くなったんじゃないでしょうか
だから、仕事減ったけどそれ分アニメ多く作ってるってことなんじゃ
アニメーターの置かれてる状況は昔からやばいって聞きますし
アニメ乱発前後でその待遇に大きな差はないような
あと厳選が課題とありますがインターネッツがここまで発達してるわけですし、大した問題じゃないような
むしろ今は情報でもなんでもユーザーが選ぶのを楽しむ時代で、
そうじゃなかったらニコニコとかここまで持て囃されなかったかと
確実に売れるアニメを作る錬金術みたいな方法がない限り、
アニメの数の増大は時代の流れに即した方法でデメリットをそこまで感じないというのが私の感想です
デジタル化でアニメーターの仕事減った分、製作コスト安くなったんじゃないでしょうか
だから、仕事減ったけどそれ分アニメ多く作ってるってことなんじゃ
アニメーターの置かれてる状況は昔からやばいって聞きますし
アニメ乱発前後でその待遇に大きな差はないような
あと厳選が課題とありますがインターネッツがここまで発達してるわけですし、大した問題じゃないような
むしろ今は情報でもなんでもユーザーが選ぶのを楽しむ時代で、
そうじゃなかったらニコニコとかここまで持て囃されなかったかと
確実に売れるアニメを作る錬金術みたいな方法がない限り、
アニメの数の増大は時代の流れに即した方法でデメリットをそこまで感じないというのが私の感想です