ミッキーの原点だった…悲劇のディズニーキャラ「オズワルド」の物語
彼の名は「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」。ミッキーマウスよりも早く誕生していたキャラクターでした。しかし、大人の事情で居場所を奪われ、時代の流れの中で、70年以上も忘れ去られていました。今だからこそ知っておきたい、彼の悲しい歴史と、嬉しい復帰の物語。
更新日: 2018年04月24日
彼の名は「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」。ミッキーマウスよりも早く誕生していたキャラクターでした。しかし、大人の事情で居場所を奪われ、時代の流れの中で、70年以上も忘れ去られていました。今だからこそ知っておきたい、彼の悲しい歴史と、嬉しい復帰の物語。
更新日: 2018年04月24日
◆ミッキーマウスよりも早く誕生していた「オズワルド」
または「しあわせウサギのオズワルド」
彼がミッキーマウスの“原点”だった
ウサギのオズワルドは、ミッキーマウス誕生以前の1927年にウォルトが発案したキャラクター。
類似キャラクターの1つかと勘ぐってしまうが、実はれっきとしたミッキーマウスの原点となる重要なキャラクターなのである。
大人気キャラクターだったオズワルド
1927年から1928年にかけて、ウォルト・ディズニーはオズワルドの短編シリーズを26本製作。オズワルドは、たちまち全米で大人気のキャラクターになった。
◆突如訪れる悲劇…
オズワルドの所有権をめぐり、ディズニーと配給元が対立
ある時、オズワルド作品の配給元であるユニバーサル・ピクチャーズと、ウォルト・ディズニー・カンパニーはオズワルドの所有権などで対立してしまう。
(ウォルトはオズワルドの生みの親であったものの、法律上、版権を持っていなかった。権利を所有していたのは、当時、ユニバーサル・ピクチャーズとディズニー・カンパニーの中間で下請けをしていたチャールズ・ミンツ社であった。)
引き抜かれてしまう大量のスタッフ
さらにユニバーサル・ピクチャーズは、ウォルトのもとにいるスタッフ達を大量に引きぬいてしまう。実は、この一連の出来事を画策したのはチャールズ・ミンツであったのだが…。
ウォルトのもとに残ったのは、兄のロイ、生涯の友人でありアニメーターのアブ・アイワークスと、わずかなスタッフだけだった。
奪われたオズワルド…ディズニーも倒産の危機に
結局、ウォルト・ディズニーがオズワルドの版権を手にすることはなく、そのままオズワルドはユニバーサルのもとに渡ってしまう。またこの出来事により、ディズニー・カンパニーは倒産の危機に陥る。(これがディズニーが著作権に厳しくなった理由であると言われている。)
◆そしてミッキーマウスの誕生へ
ミッキーマウスの誕生
失意のウォルトだったが、アブ・アイワークスと共に新たなオリジナルキャラクターのアイデアを練り続けた。そんなとき、ウォルトの頭に以前飼っていたネズミの姿が浮かぶ。今や世界中で愛されているミッキーマウスの誕生である。
ミッキーマウスの誕生には、アブ・アイワークスの多大な功績もあった。
傷心のウォルトは新しいキャラクターを作ろうと決意。そこで頭に浮かんだのが、昔飼っていたペットのネズミだった。
「最初は"モーティーマー"という名前を考えたが、妻のリリアンに"堅苦しい"と反対され、彼女の意見に従って"ミッキー"と名づけた」という。
ミッキーのデビュー作「蒸気船ウィリー」
1928年11月18日、ミッキーマウスのスクリーンデビュー作『蒸気船ウィリー』が初公開。実は同じ年の5月15日にミッキー主演の第1作『プレーン・クレイジー』が完成していたのだが、トーキー(音の入った映画)の出現で買い手がつかず、ウォルトはすぐさまトーキーの製作にとりかかった。 こうして誕生したのが世界初のトーキー・アニメーション『蒸気船ウィリー』である。
◆一方、ユニバーサルにも大ヒットキャラが誕生
出典eiga.com
今やユニバーサルの看板キャラクター。特徴があり、作品も面白い、魅力的なウッドペッカー。
ウッディー・ウッドペッカーの誕生
ユニバーサルスタジオのプロデューサーであり、アニメーターのウォルター・ランツは、1940年、ユニークなキツツキのキャラクター「ウッディー・ウッドペッカー」を作り上げる。
ユニバーサルの大人気キャラ「ウッディー・ウッドペッカー」
ウォルター・ランツが生み出したいたずら好きのキツツキ。あの世界一憎ったらしい笑い声(文章ではとても表現不可能)は、誰しも一度は聞いたことがあるだろう。
ウッディー・ウッドペッカーはいつも意表を突くわかりやすいギャグで、そのセンスには、笑う以前に、思わず「お見事!」とうなってしまう傑作ばかり。
◆やがてオズワルドは忘れ去られた…
忘れ去られたオズワルド
ミッキーマウスの誕生と、ウッディ・ウッドペッカーの大ヒットの影で、やがて人気を失ったオズワルドのアニメーション作品は、1943年を最後に製作されることもなくなる。そしてオズワルドは、ユニバーサルが権利を持ったまま表舞台から消えていった。
ユニバーサルに権利が移ってから、数度に渡りデザインが変更されたオズワルド。しかし、それでも人気が戻ることはなかった。
1966年、ウォルト・ディズニー死去
1966年、ウォルト・ディズニーは65年の生涯を閉じた。オズワルドがその手に戻ることは、最後まで無かった。
「いつかオズワルドを取り戻せ」
※これはあくまで噂レベルの話ですが、ディズニー社の社長にだけ伝えられていた社訓に、ウォルトの遺言のひとつとして「いつかオズワルドを取り戻せ」という言葉があった、という出所不明の話すら存在します。
しかし、こういった噂話が出るほどまでに、「オズワルド」というキャラクターは決してディズニーにとって諦めた存在では無かった事が分かる出来事が、その後起こります。
◆2006年、78年ぶりにディズニーに戻ってきた!
「オズワルドは、半世紀以上のときを経て、2006年、ウォルト・ディズニー・カンパニーのもとに戻ってきました。」
当時のプレスリリースによると、現ディズニー社CEOであるロバート・アイガーは、就任時、ウォルトの娘ダイアン・ディズニー・ミラーに「オズワルドを取り戻したい」と語っていたそうで、その約束がここに果たされる事となった。
(実はオズワルド返還にはアメフトが深く関係しているのですが、ここでは割愛。興味のある方はぜひ調べてみてください。)
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