本稿ではピグの人気ユーザーである流行人こと宮下隼のピグでの歩みをしたためていこうと思う。
13歳の宮下少年は「隼」という名前でアメーバピグの利用を開始した。
当時の彼はイベントや広場に顔を出しては他人に暴言を吐きまくる荒らし活動に注力していた。
ある日彼は、愚痴広場で出会ったレモンという女性ユーザーに目を付けられ、個人攻撃の標的とされることになる。
レモンは鬼女特有の執着を発揮し、名前や住所、通う中学校、ひいては交友関係に至る様々な情報を洗い出した。
隼は最初こそめげずに戦っていたものの、学校でのいじめ被害や不登校の事実など、ネットの暴れん坊である彼にとっておおよそ不利でしかない情報の漏えいに精神を深く傷つけられ、ついには「隼」という名での活動は困難だと判断するにまで至り、学業の多忙を理由にひっそりとピグを後にした。
退会から幾月が過ぎたある日、「マックミラン」という名前で再びピグに舞い戻ってきた。
この時の彼は、「隼」時代の振る舞いは蔵にしまい、一転して硬派な姿勢に努めるようになっていた。
喧嘩イベントに頻繁に顔をだし、かといって誰と喧嘩をするでもなく、木像のごとくその場に居座り続け、ひたすら人間観察にあけくれる日々を送った。
マックミラン時代の彼は、極めて無骨であり、何を問いかけられても「おう」という返事をするのみで、会話の相手としては退屈ではあったが、ある種居心地の良さを醸し出せている節があった。
この時期に彼は、同世代である「キラーマシン」という少年と出会い、意気投合し、深い友情を育んだ。
人生観や恋愛観、音楽や映画などの趣味の話に花を咲かせ、まばゆい青春時代をまばゆい画面越しに送ることができた。
しかしその友情もつかの間、些細な言動から不和が生じ、仲を取り戻すことはできぬまま「キラーマシン」はピグを去った。
心を開いた唯一の相手をなくした彼は、喧嘩に明け暮れ、そこで”右翼思想”の岩盤を築き上げていった。
喧嘩に勝つには知識が必要だ。
そして最もマウンティングに適した知識こそは政治知識であると確信した彼は、政治分野に多大な関心を抱き、そしてネットにはびこる右翼思想をスポンジのように吸収していった。
当時の日本のネット社会は今以上に右翼思想があふれていたため、ネットで政治情報を仕入れていた彼が右傾化するのは当然の流れである。
喧嘩に明け暮れる彼に転機が訪れたのは、ピグきってのヤンキー喧嘩師「タクボー」との出会いだ。
ひょんなことから二人は喧嘩をはじめたが、その争いはもつれにもつれ、ついには”リアルファイト”に発展することとなった。
広島のタクボーと岡山のマックミラン。
学生の彼らでも会おうと思えば会える距離である。
2013年某日、二人は岡山駅噴水前広場に19時に待ち合わせた。
リアルファイトの行く末は喧嘩イベント住人の多くが気にかけ、報せを待った。
そして翌日に飛び込んできた報せは「マックラミン 集合場所に現れず」というにわかに信じがたいものであった。
「俺は身長183cm。ワンパンで噴水の水たまりに沈めることが可能。」などと散々威勢のいいことを吹聴した挙句の逃亡劇に皆は愕然とした。
マックミランとして築き上げた硬派で無骨な保守系喧嘩師のイメージはこの時点で瓦解した。
過激かつ挑戦的な武装論を唱え、のべつ幕なしに暴力の必要性を喧伝していた彼が、目の前の闘争から逃走したのである。
ここにきて彼の言葉や思想からは一切の重みが失われ、何を言っても空虚な絵空事としてしか扱われず、いつしか界隈中の嘲笑の的となった。
この時期が「マックミラン期」の終焉である。
鳴り止まぬあざけり、底無しの失墜、彼の我慢は限界に達していた。
自身の言葉の浅薄を知り、発言と行動の不一致を見出し、ひどい自己嫌悪に陥った。
やがて彼の防衛本能は「マックミラン」の仮面をはぎ取った。
懇意にしていた命氏や天使にもさよならを言わず、水面から消える波紋のように静かに、そして誰にも知られぬうちにピグを去って行った。
それから幾数年がたつ頃だろう、「流行人」として活動する彼を発見したのは。
聞けばピグを去って数か月後、ネット依存甚だしい彼は新たに「流行人」というアカウントで再起を図っていたというのだ。
活動内容はといえば、隼時代のような荒らしでもなく、マックミラン時代のような喧嘩でもなく、流行人時代の最たるは出会い活動、そしておまけ程度の右翼活動にある。
女性ユーザーに片っ端から声をかけては「俺の核弾頭を迎撃する用意はあるか?」などの意味不明な口説き文句を並べたて、じわじわと反感を集めていった。
思春期にかかる病にして、その後の人生において幾度となく症状をあらわす「精子脳」に男の例にもれず罹患したのである。
脳で考えればいいものを、ついつい精子脳で考え込んでしまうがゆえに生じる不合理が彼の身を囲んでいった。
数多の女性にメールやラインの文面、個人情報、そして顔写真をさらされた。
晒された写真はどの顔も、ふを求めるコイのように醜く下賤に歪んでいた。
その顔に硬派は残っていなかった。
いつしか返事は「おう」ではなく「おん」に変わっていた。
そうしたピンク活動に精を出すうちに出会ったのが犬川、モイの両氏である。
彼らは隼時代のレモンを彷彿とさせる粘着性をもって流行人を攻撃し、流行人もまた彼らに応戦をしていた。
両者の争いは拮抗であったが、某て○しが犬川勢に対して流行人の名前や住所を提供したことで戦況は一気に流行人の不利に傾いた。
流出した個人情報、顔写真、そして増え続ける難敵。
いつしか敵は犬川、モイだけではなく夢浮橋、猫、ぽぽちゃんと増え続けていった。
口を開けば袋叩きにされ、悪質なコラ画像を流布され、住所を晒され、おおよそネットにはびこる悪意を一身に引き受けている。
最後になるが、今こうして「隼」時代からさかのぼってみると、常に何かしらの争いの渦中にいる凄絶なネットライフを送ってきていたことを今一度確認することができた。彼の活動は今後も続くだろうが、現在の底辺からどのようにしてのし上がっていくのかを大いに楽しみとしこれからも暖かく見守っていこうと思う。
文責:天使