【日本のバレンタインデー】「義理チョコ」「ホワイトデー」文化に至るまではいろいろあった

バレンタインデーの起源は269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖バレンティヌスまで遡ると言われていますが、日本のバレンタインの習慣は独自の発展を遂げて来ました。

更新日: 2013年02月04日

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musinoneさん

バレンタインデーの起源は269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖バレンティヌスまで遡ると
言われていますが、日本のバレンタインの習慣は
独自の発展を遂げて来ました。

日本のバレンタインデーの変遷

1936年には、英字新聞「ジャパンアドバタイザー」にバレンタインチョコレートの広告も掲載しました

このときは男女双方に向けての宣伝であり、その後も恋人に贈り物をする日としてデパートが宣伝をしましたが、定着しませんでした

当時チョコレートは非常に高価なものでしたので、
日本人よりは在留の外国人へのアプローチが主体であったようです

これはその時に売り出されたチョコレートだそうです。

パリに住む知人から受け取った一通の絵葉書がきっかけでした。そこには「当地にはバレンタインデーといって花やカードやチョコレートを贈る習慣がある」と書かれていました

まだ学生で同社でアルバイトしていた二代目社長の原邦生がこれをきっかけにキャンペーンを考えたそうです。

1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出した

当時はバレンタインを知る人もなく、3日間で50円の板チョコレートが3枚と20円のメッセージカードが1枚、たった170円の売上

前年、全くチョコレートが売れなかったメリーチョコレートですが、めげずにこの年もバレンタイン企画を行います。

悩んだ結果、まず、チョコレートをハート型にして、その上に贈る人と相手の名前を入れられるサービスを実施、さらに 『年に一度、女性から男性へ愛の告白を!』 というキャッチコピーを付けました

この時から日本特有の「女性から男性に贈る」習慣が生まれたようです。

「愛の日であれば女性からでも良いのでは?」と発想し、このキャッチフレーズを付けて販売したのです

男性に告白する事もできないくらいおしとやかだった当時の女性の勇気を後押しし、この年からバレンタインデーにチョコレートが売れるようになりました

その頃の日本はアメリカのウーマン・リブ運動の影響を受け、女性が恋愛の主導権を握ろうというムードがあったから。時代を読んだ斬新な提案だったのです

森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を新聞広告などのマスコミを通して行ない、チョコレートの販売を促進しました

1965年には伊勢丹が
1968年にはソニープラザがバレンタインフェアーを開催しています

この時期にはバレンタイデー用のチョコレートをお買い上げいただいた方々を劇場に招待したり、景品には当時大変貴重であった腕時計をプレゼントとするという新聞広告もありました

1960年代から普及し始めた同イベントは、当初「若者の恋愛」をテーマとし菓子業界の商業的な意図の強いものでした

1970年代前半にチョコレートの売上が急増した[13]。バレンタインデーにチョコレートを贈答するようになったのは、小学校高学年から高校生までの学生層から広まったという

バレンタインデーにチョコレートを贈るようになったことをきっかけにして、日本チョコレート・ココア協会が2月14日を「チョコレートの日」として制定し、1970年代に定着した

。1970年代半ば頃には、バレンタインデーは女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日として定着

日本の バレンタインデー は、伝統的贈答感覚に磨かれ、80年代には、さらに独自色を深める。
その象徴が「義理チョコ」。職場の上司や同僚、学校の友だちと渡す相手は拡大

全国飴菓子工業協同組合が「ホワイトデー(3月14日)はキャンディーの日」として、第1回“愛にこたえるホワイトデー”キャンペーンを実施する

日本チョコレート・ココア協会の独自推定によると、81年の バレンタインシーズン のチョコの販売額は300億円だったが、89年には430億円にまで拡大した

日本のチョコレートの年間消費量の2割程度がこの日に消費されると言われるほど

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