「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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《 いま注目の論点 》
★対中対決戦略を説く「Y論文」――湯浅博さん
★台湾 中国の浸透阻止に効果――矢板明夫さん
★北の金正恩政権への幻想は禁物――李相哲さん
★豪印の安保協力 日米と「自由の海」支えよ――産経新聞
★米ウイグル人権法 中国は洗脳と弾圧中止を――産経新聞
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イザヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダだと思っている」という指摘をしてわれわれの目を開いてくれたが、清水(幾太郎)氏は「日本人は国家の統合をタダと思っている」ことを鋭く指摘した。なるほど言われてみれば、そのとおりである。どこの国でも、国が成り立つためには統合問題が第一に出てくるわけで、統合がなければ、そもそも国家はない。
『日本史から見た日本人 鎌倉編』
【 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p140 】
2章 南北朝――正統とは何か=日本的「中華思想」によって起きた国家統合の戦争
(4) 正統論からの脱却――楠木正儀(まさのり)の現実主義
◆「国家の“統合”はタダ」と思う日本人
「生まれつき丈夫な人間が健康に無関心であるように、私たちは日
本社会の統合という問題に無関心で来た。多くの人種、多くの言語、
多くの宗教……という遠心的な諸力を抱え込み、しかも他国と地続
きの諸外国では、片時も統合の問題から眼を離すことが出来ないの
に、一つの人種、一つの言語、一つの無宗教、島国という恵まれた
条件の下で、私たちは、統合は天然(てんねん)現象であるかのよう
に考えてきた。……今まででも何時も無関心であったわけではない。
少なくとも幕末から明治初年に至る時期と、30年前の敗戦後の時
期とには、それは多くの人々にとって必死の問題であった。二度と
も、それは見事に解決された……二度とも、天皇が大きな役割を果
たしていたことは認めねばならない。
幕末の志士が幼弱の天皇を如何(いか)に利用したかは広く知られて
いるし、敗戦後の混乱の中で何度世論調査を行っても天皇支持が9
0パーセントを越えたことも広く知られている……昭和50年を迎
えたというのは、戦争、敗戦、降伏、占領があったにも拘(かかわ)
らず、日本が統合を失わなかったということを意味する。それは目
立たぬことかもしれぬ。平凡なことかもしれぬ。しかし、それは、
この間に生じた如何(いか)なる事件に比べても、最も深いもの、最
も重いものである。人間に譬(たと)えれば、多くの傷を負いながら
も、生命を失わなかったことである。」(清水幾太郎(しみずいく
たろう)『この歳月』中央公論社・197-198ページ)
戦後のいわゆる「進歩的文化人」の代表格であり、どちらかといえば左翼の論考と考えられていた清水幾太郎氏から、このような天皇論を聞くと意外な感じを受ける方もおられるかもしれない。
しかし清水氏は60年安保騒動以来、学問と思索の生活にもどり、その研究に基づき、幅広い、また透徹した洞察力を持って書いているように思われる。
国家の統合問題が、日本ではあまりにも当然視されていることに注目し、これを天皇論と結びつけているのは卓見であると思う。
イザヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダだと思っている」という指摘をしてわれわれの目を開いてくれたが、清水氏は「日本人は国家の統合をタダと思っている」ことを鋭く指摘した。
なるほど言われてみれば、そのとおりである。どこの国でも、国が成り立つためには統合問題が第一に出てくるわけで、統合がなければ、そもそも国家はない。
清水氏は、さらに語を継(つ)いで言う。
「諸外国の歴史を調べてみると、改革でブルボン王朝が亡(ほろ)び
た後のフランスのように、一度失われた統合は、容易に回復されな
いものである。また、統合を失った国家ほど、他国の餌(えさ)にな
り易(やす)いものはない。また、現在、日本の近くにある幾(いく)
つかの国が示しているように、無理にでも統合を確立しようとする
場合、必ず日本の天皇をモデルにして、スターリン崇拝、毛沢東崇
拝などを人工的に組織している。私たちは、既(すで)に自然に持っ
ているものを新しい眼で見直してもよいのではないか」(同書)
清水氏は、日本の統合の象徴は「自然」であるのに対し、スターリンや毛沢東は無理をして強引に作り上げたものであると言っているわけである。
われわれが自然現象のごとく感じている「統合」も、隣国の人から見ると、いかに羨(うらや)ましいものに見えるかは、故きだみのる氏の文章からも明かであろう。きだ氏は終戦直後に、八王子(はちおうじ)の近くで、ある朝鮮人の青年と出会い、そこでよい記憶を得たという。そこの会話は、「国家の統合」という面から見ても参考になると思う。
「――ぢゃあ、君は戦勝国民だ。早く国に帰りたいだろうなあ。
――前は帰りたかったね。今は帰りたくないね。
――どうして。
――前には私は日本を尊敬していなかった。早く故郷に帰りたいと
思ってたね。これは無理もないことだろう。強制的に日本に連れて
来られたのだから。
――そして帰りたくなくなったのは?
――終戦のときよ。やはり日本の文化は高い。私たち負けたと思っ
た。朝鮮だったら内乱が起こっているね。その内乱は日本では起こ
らなかったもの、日本は秀(すぐ)れている。私はもっと日本にい
て日本を学びたくなった」
(『にっぽん部落』岩波新書・184-5ページ)
終戦のときに、実際に日本人同士の内乱や内戦を心配した人間はほとんどいなかったと思う。それは、われわれが日本人の統一ということについては、それこそ空気がタダであるのを当然と思うように、当然と思っていたからである。
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
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イザヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダだと思っている」という指摘をしてわれわれの目を開いてくれたが、清水(幾太郎)氏は「日本人は国家の統合をタダと思っている」ことを鋭く指摘した。なるほど言われてみれば、そのとおりである。どこの国でも、国が成り立つためには統合問題が第一に出てくるわけで、統合がなければ、そもそも国家はない。
『日本史から見た日本人 鎌倉編』
【 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p140 】
2章 南北朝――正統とは何か=日本的「中華思想」によって起きた国家統合の戦争
(4) 正統論からの脱却――楠木正儀(まさのり)の現実主義
◆「国家の“統合”はタダ」と思う日本人
「生まれつき丈夫な人間が健康に無関心であるように、私たちは日
本社会の統合という問題に無関心で来た。多くの人種、多くの言語、
多くの宗教……という遠心的な諸力を抱え込み、しかも他国と地続
きの諸外国では、片時も統合の問題から眼を離すことが出来ないの
に、一つの人種、一つの言語、一つの無宗教、島国という恵まれた
条件の下で、私たちは、統合は天然(てんねん)現象であるかのよう
に考えてきた。……今まででも何時も無関心であったわけではない。
少なくとも幕末から明治初年に至る時期と、30年前の敗戦後の時
期とには、それは多くの人々にとって必死の問題であった。二度と
も、それは見事に解決された……二度とも、天皇が大きな役割を果
たしていたことは認めねばならない。
幕末の志士が幼弱の天皇を如何(いか)に利用したかは広く知られて
いるし、敗戦後の混乱の中で何度世論調査を行っても天皇支持が9
0パーセントを越えたことも広く知られている……昭和50年を迎
えたというのは、戦争、敗戦、降伏、占領があったにも拘(かかわ)
らず、日本が統合を失わなかったということを意味する。それは目
立たぬことかもしれぬ。平凡なことかもしれぬ。しかし、それは、
この間に生じた如何(いか)なる事件に比べても、最も深いもの、最
も重いものである。人間に譬(たと)えれば、多くの傷を負いながら
も、生命を失わなかったことである。」(清水幾太郎(しみずいく
たろう)『この歳月』中央公論社・197-198ページ)
戦後のいわゆる「進歩的文化人」の代表格であり、どちらかといえば左翼の論考と考えられていた清水幾太郎氏から、このような天皇論を聞くと意外な感じを受ける方もおられるかもしれない。
しかし清水氏は60年安保騒動以来、学問と思索の生活にもどり、その研究に基づき、幅広い、また透徹した洞察力を持って書いているように思われる。
国家の統合問題が、日本ではあまりにも当然視されていることに注目し、これを天皇論と結びつけているのは卓見であると思う。
イザヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダだと思っている」という指摘をしてわれわれの目を開いてくれたが、清水氏は「日本人は国家の統合をタダと思っている」ことを鋭く指摘した。
なるほど言われてみれば、そのとおりである。どこの国でも、国が成り立つためには統合問題が第一に出てくるわけで、統合がなければ、そもそも国家はない。
清水氏は、さらに語を継(つ)いで言う。
「諸外国の歴史を調べてみると、改革でブルボン王朝が亡(ほろ)び
た後のフランスのように、一度失われた統合は、容易に回復されな
いものである。また、統合を失った国家ほど、他国の餌(えさ)にな
り易(やす)いものはない。また、現在、日本の近くにある幾(いく)
つかの国が示しているように、無理にでも統合を確立しようとする
場合、必ず日本の天皇をモデルにして、スターリン崇拝、毛沢東崇
拝などを人工的に組織している。私たちは、既(すで)に自然に持っ
ているものを新しい眼で見直してもよいのではないか」(同書)
清水氏は、日本の統合の象徴は「自然」であるのに対し、スターリンや毛沢東は無理をして強引に作り上げたものであると言っているわけである。
われわれが自然現象のごとく感じている「統合」も、隣国の人から見ると、いかに羨(うらや)ましいものに見えるかは、故きだみのる氏の文章からも明かであろう。きだ氏は終戦直後に、八王子(はちおうじ)の近くで、ある朝鮮人の青年と出会い、そこでよい記憶を得たという。そこの会話は、「国家の統合」という面から見ても参考になると思う。
「――ぢゃあ、君は戦勝国民だ。早く国に帰りたいだろうなあ。
――前は帰りたかったね。今は帰りたくないね。
――どうして。
――前には私は日本を尊敬していなかった。早く故郷に帰りたいと
思ってたね。これは無理もないことだろう。強制的に日本に連れて
来られたのだから。
――そして帰りたくなくなったのは?
――終戦のときよ。やはり日本の文化は高い。私たち負けたと思っ
た。朝鮮だったら内乱が起こっているね。その内乱は日本では起こ
らなかったもの、日本は秀(すぐ)れている。私はもっと日本にい
て日本を学びたくなった」
(『にっぽん部落』岩波新書・184-5ページ)
終戦のときに、実際に日本人同士の内乱や内戦を心配した人間はほとんどいなかったと思う。それは、われわれが日本人の統一ということについては、それこそ空気がタダであるのを当然と思うように、当然と思っていたからである。