ほぼ日刊イトイ新聞

2020-06-29

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「座禅」というものがありますよね。
 知りもしないのに、ぼくはちょっと好きなんです。
 これまでにも、何度か「ほぼ日」のなかで、
 「寝禅(身体を横たえて禅をやってる状態)」とか、
 「犬禅(犬が半眼で心を無にしているようす)」
 などについて、でたらめなことを言ってきました。
 頭やこころが、なにかに因われてない状態が、
 ぼくの思う「禅」なので、
 眠ってるとき以外で、そういうことがあるなら、
 それはそれでもうオッケーなのです。
 「ほぼ日」では、山下さんという人が、よく、
 走行中のクルマの助手席で「助手席禅」をやってます。
 彼はもう、その世界では高僧の資格があると思います。

 それと似ているか、似ていないのかわかりませんが、
 ぼくは、公式の場というものがとても苦手です。
 社会的に偉かった方のお葬式とか、
 なにかの立派な表彰式だとかの場だとか、
 どういうふうにいればいいのか、見当もつかないのです。
 謙虚にしていればいい、だけでもないんですよね。
 背筋をまっすぐにとか、にやにやしてはいけないとか、
 いくつもの「あるべき姿」というものがあるでしょう? 
 そこらへん、絶対に、ぼくには無理です。
 だって、そういうふうに生きてきてないんだから。
 この問題については、ずっと悩んでいたのです。

 しかし、数年前、ひとつの術を編み出しました。
 「バラク・オバマ」を降ろす、のです。
 じぶんが「バラク・オバマ」であると思いこむのです。
 真実は、ぼくも他人もよく知っていることですが、
 絶対に「オバマ」ではありませんっ。が、
 ぼくの脳内だけで、ぼくは「オバマ」であるのです。
 合衆国大統領のような公的な立場でありながら、
 気さくな人間味のある印象を漂わせている人。
 思想信条のことは考えないことにして、
 居方、態度だけオバマはんから借りてくるのです。
 他の人たちには、おそらく気づかれてないはずです。
 ぼくが、オバマになっているなんて考えもしないです。
 これも、じぶんを無にするという意味では、
 もしかしたら「他人禅」ということになるかも…?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
他人禅で、いつか降ろしてみたい人は越路吹雪さんです。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る