1951年夏までには、両軍は38度線付近で危険な膠着状態に陥った。犠牲者も増えた。7月、交渉は始まったが、捕虜の扱いをめぐって行き詰まった。米軍に捕らえられた多くの捕虜は、母国に戻ることを望まなかったが、北朝鮮も中国も、捕虜の返還を講和条件として主張した。1953年の休戦に先立って行われた捕虜交換では、7万5000人を超える共産主義陣営の捕虜が北への帰還を果たす一方で、2万2000人以上が逃亡したか、亡命を求めた。
1953年7月27日、北朝鮮、中国、米国は、休戦協定に署名した。だが韓国は、朝鮮の分断が続くことに反対して休戦に同意せず、正式な平和条約に署名することはなかった。したがって、戦闘は終わったものの、厳密には戦争が終結したわけではなかった。
朝鮮戦争での死者数は、今も不明だ。4万人近くの米兵と推定4万6000人の韓国兵が、命を奪われた。北側の犠牲者はさらに多く、21万5000人の北朝鮮兵と40万人の中国兵が死んだと推定されている。それだけではない。死者の大半(最大70%)は、非戦闘員だった。民間人の犠牲者は400万人と考えられている。特に北朝鮮は、爆撃と化学兵器により大きな犠牲を払った。
また、多くの兵が、停戦時に行方不明になった。停戦時に北朝鮮で捕らえられた韓国兵は約8万人。北朝鮮は、彼らを捕虜にしたことを否定しているが、脱北者や韓国当局の公式報告によれば、捕らえられた兵が強制労働者として働かされていたという。こうした捕虜のほとんどの遺体の行方は、ようとして知れない。しかし、2020年6月、米国は、2018年に北朝鮮から引き渡された147人の韓国人捕虜の遺骨を特定して返還した。一方、7500人を超える米兵の行方が、まだわかっていない。
朝鮮戦争の勃発から70年、2つの朝鮮は今なお分断されている。2000年、南北統一の希望が、一時ちらついた。両国が再統一のため「協調して努力」するという共同宣言を発表したのだ。2018年には首脳会談で両国首脳が握手と抱擁を交わし、統一の希望は再燃した。しかし、その希望は、ゆっくりと色あせていった。2020年6月、北朝鮮は、事実上の大使館として機能していた韓国との共同事務所を爆破した。
朝鮮戦争の記憶は、第二次世界大戦とベトナム戦争の間に埋もれ、米国人の間ではほとんど薄れてしまった。しかし、朝鮮に関してトルーマンが取った行動は先例となり、ベトナム、イラク、アフガニスタンへの軍事介入や、ボスニア、ハイチでの国連平和維持活動への参加を正当化するために、歴代の米大統領が利用してきた。この最初の決定は、その後ずっと問題視されている。朝鮮戦争は、宣戦布告もなく、未解決で、ほとんど記憶に残っていない。だが、その負の遺産は、今も生きている。


















