対談集発刊について語り合うペッチェイ氏と池
田大作先生(1981年6月1日、イタリア・フィレ
ンツェ)
1972年、あるレポートが世界に衝撃を与えた。タイトルは『成長の限界』。発表したのは、国際的有識者組織「ローマクラブ」。創設者はイタリアを代表する実業家として知られたアウレリオ・ペッチェイ氏である。
経済至上主義の物質文明に警鐘を鳴らす活動のなかで、ペッチェイ氏は二つの“壁”に直面した。一つは、ソ連・中国とどう協力すればいいか。もう一つは、若者の価値観をどう転換させるか——。「イデオロギー」と「世代」。二つの壁に突き当たっていたのである。そうしたなか、池田大作先生を知った。社会主義の中国・ソ連を相次いで訪問し、対話を重ねている。また池田先生のもとには、いつも溌剌とした青年がいる。池田先生にはローマクラブの限界を破る何かがある——。そう感じたペッチェイ氏は、池田先生との会見を希望する。
リンゴの白い花たちが光る“青空サロン”で初
会見(1975年5月16日、フランス・パリ)
「庭がきれいですから、外でお話ししませんか」(池田先生)
「それはいいですね!」(ペッチェイ氏)
1975年5月、フランス・パリの青空の下で池田先生とペッチェイ氏の初会見が行われた。氏は人類の行く末を真剣に憂いていた。「(人類の)技術は進歩しても、文化的には化石のように進歩が止まっている。そのギャップを埋めるために、必要なのは『人間精神のルネサンス』です。『人間自身の革命』です」以前から創価学会が掲げる「人間革命」の思想に関心をもっていたペッチェイ氏。「人間革命には、どれくらいの期間を要するのでしょうか?」(ペッチェイ氏)「多くの人々の人間革命には、かなりの時を必要とするでしょう。しかし、行動せずして種をまかずして前進はありません」(池田先生)。「人間革命」の思想にペッチェイ氏は心から共感し、大きな希望を抱いた。
ペッチェイ氏と池田先生の最後の会見。この
時、氏は「どういうことがあろうと、より深い友
情でいきましょう!」と池田先生に語った(19
83年6月21日、フランス・パリ)
ペッチェイ氏と池田先生の出会いは、ペッチェイ氏が亡くなる直前までの約10年間、パリ、東京、フィレンツェなどで5度に及んだ。この“警世の対話”は、対談集『二十一世紀への警鐘』(84年)として上梓された。晩年、ペッチェイ氏はことあるごとに語っていたという——「世界を変革できるのは、青年だよ。青年の人間革命によって、世界は変わるんだよ」と。ペッチェイ氏が人類に対して鳴らした警鐘の先見性は、21世紀の現在、いや増して光っている。「池田会長、私たちの意見は一致しました。やりましょう。私たちは握手しましょう。21世紀のために! 私たちの子どもや孫の世代のために! 手遅れにならないうちに!」