私は、オタクであり、フェミニストである。少なくとも、自分ではそうだと思っている。そんな私は、とくに2019年の終わり頃から、SNS上で「オタク対フェミニズム」という構図が作り出されているように感じ、なかなかしんどい気持ちになっていた。
確かにSNSを見ていると、男性向けオタクコンテンツ全般を嫌悪し、同時に女性の権利を訴えるようなアカウントに出会うことはある。そういうアカウントばかりが目に入ると、フェミニストを自認する人はみなそういうものだと考えてしまうかもしれない。しかし、フェミニストがみなそうであるわけではない。
ジェンダーの観点から問題含みな表現や表象が作られ、とくにそれが公共の場において多くの人の目に触れるものである場合、フェミニストは確かに批判をする。その問題含みな表現が、時にオタクコンテンツと呼ばれるものの中で発生することも実際にある。
しかし、当然のことながら、フェミニストが批判する表現の中にはいわゆるオタクコンテンツには分類されないものも含まれる。要は個別のケースに問題を感じた時にその都度批判をしているだけのことであって、フェミニズムはオタク文化そのものを一概に否定するものではないはずだ。
そうであるにもかかわらず、あたかも「フェミニズムはオタクを否定し、オタクはフェミニズムを否定する」かのような、単純にもほどがある対立構図が一部で形成されてしまったように感じられた。実際、一時期はTwitterを覗くと、フェミニストに対する論争とも言えないような罵詈雑言をたくさん目にした。
これはさすがにまずいし、何よりどちらも自分の一属性である「フェミニスト」と「オタク」が対立させられてしまっているかのような風潮には一石を投じておきたい、そうでないと自分のような存在が見えなくさせられてしまうと思い、次のようにツイートした。
「もう本当に何度も言いますけど、フェミニストであることとオタクであることは両立します。どのようなスタンスのフェミニストでどのようなスタンスのオタクかにもよると思いますが、少なくとも私はオタクでありフェミニストです。オタクvsフェミニストという謎の対立構造ができるのは本当に悲しい。」
このツイートにはそれなりの反響があり、相当な数のリプライも送られてきた。なかには、「実は私もフェミニストでオタクなんです」「そういう人がいることももっと知られてほしい」という共感的なリプライもあった。しかし送られてきたリプライの中身の8割は、否定的なコメントだった。