青年部年間拝読御書

青年部拝読御書 「観心本尊抄」研鑚のために⑨=完

第3段 本尊を明かす  第4段 総結青年部拝読御書 「観心本尊抄」研鑚のために⑨=完

 青年部拝読御書「観心本尊抄」を学ぶ連載の最終回は、第3段第30章と、本抄の結論部分となる第4段第31章を解説。地涌の菩薩出現の先兆が明かされ、末法の凡夫に対する御本尊の絶大な功力が示される。

一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う(御書254㌻)

第30章 如来の兼讖を明かす

①地涌出現の未来記を明かす

問うて曰く仏の記文は云何……此の言良とに以有るなり」(御書254㌻3行目~7行目)

 ここでは地涌の菩薩が必ず末法に出現することについての如来の未来記(予言)を挙げられ、日蓮大聖人がその未来記に当たる方であることを結論されていく。
 如来の未来記とは、法華経薬王品の「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」の経文である。そして、補足として天台の『法華文句』、妙楽の『法華文句記』、伝教の『守護国界章』の文を挙げられ、如来の未来記が、末法の初めに日本国に出現された大聖人御自身を指し示していることを証明されていく。
 伝教の「末法太だ近きに有り」については、伝教自身の時代は仏説にある法華弘通の時ではない、との意味が込められていると仰せである。
 その「末法の初め」について、伝教は次のように示している。
 ――時代を語れば、像法時代の終わりであり末法の初めである。その土地は唐の東であり、羯の西である。その時代の人々は五濁が盛んで、闘諍が絶えない。法華経法師品の「(釈尊の在世ですら)猶怨嫉が多い。滅度の後はさらに怨嫉が多くなる」との言葉は、まことに意味深い――と。
 この文に説かれた時代・場所・人々の機根という諸条件にあてはまっているのが、大聖人御在世の日本であることを示唆されている。

②本門の本尊建立を明かす

此の釈に闘諍の時と云云……未来記も亦泡沫に同じ。(同254㌻8行目~13行目)

 伝教の文に述べられた「闘諍の時」とは、大聖人御在世当時の自界叛逆・他国侵逼の二難を指す。自界叛逆難については、本抄を著される前年に「二月騒動(北条時輔の乱)」としてすでに起きている。
 また、他国侵逼難についても、蒙古からの使者が数度にわたり日本を訪れ、蒙古軍の襲来は避けられない状況にあったことから、より詳細に「西海侵逼」と呼ばれている。実際、本抄御執筆の翌年には、いわゆる「文永の役」が起きている。
 このように、経や釈が明示している条件に符合しているのが、本抄御執筆当時の日本であることを指摘され、まさに地涌千界の大菩薩が出現して、本門の釈尊を脇士とする一閻浮提第一の本尊がこの日本に建立されるだろう、と断言されている。
 ここで「本門の釈尊を脇士と為す」とは、御本尊中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」の首題の左右に釈迦牟尼仏・多宝如来が認められていることを指す。諸宗の仏を統合する法華経本門の教主・釈尊をも脇士とする本尊は、未曽有であり、一閻浮提第一の本尊となる。
 この本尊は、インドや中国でも出現しなかった。そして、日本でも、これまでに現れていなかった。
 聖徳太子は四天王寺を建立したが、他方仏である阿弥陀仏を本尊とした。聖武天皇は奈良に東大寺を建立したが、華厳経の教主である盧遮那仏を本尊とした。法華経は重んじられても、いまだ法華経の実義は顕す人がいなかった。
 これに対し伝教は、南都六宗を破折し、法華円頓の戒壇を建立するなど、ほぼ法華経の実義を顕したといえる。しかし、末法という時が来ていなかったため、東方の鵝王(薬師如来)を本尊とし、本門の四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)」を顕すことはなかった。
 このように、法華経の実義である本尊が顕されなかった理由は、結局、この本尊は地涌の菩薩に譲り与えられたものだからである。
 この地涌の菩薩たちは仏勅を受けて、大地の下で「時」を待って正法・像法時代に出現しなかった。
 したがって、その「時」である末法に出てこなければ、大妄語(大うそ)の菩薩ということになり、法華経での釈迦仏の未来記、多宝仏・十方分身の諸仏の証明も、水の泡と同じになってしまうと仰せである。

③地涌出現の先兆を明かす

此れを以て之を惟うに……法華を識る者は世法を得可きか。(同254㌻14行目~17行目)

 最後に地涌出現の先兆(兆し)が明かされる。
 大きな出来事には必ず予兆がある。地涌の菩薩が出現して大法を建立するという仏法上の大きな出来事の起きようとする前兆にあたるのが、正法・像法時代にはなかった大地震・大彗星という天と地の秩序を乱す異変の現象である。
 大地震とは、鎌倉で起きた「正嘉の大地震」である。当時は、頻繁に大地震が起きているが、特に正嘉の大地震は規模も大きく、被害も甚大であった。
 また、大彗星とは、「文永の大彗星」である。古来、中国や日本で、彗星出現は凶兆とされ、人々の心を動揺させた。いずれも「正法・像法時代にはなかった」という形容自体、当時の人々の不安や恐れの大きさを示しているのである。
 大聖人は、こうした現象は、金翅鳥や修羅、竜神が起こした異変ではなく、地涌の菩薩が出現する「先兆」であると述べられている。
 本抄では続けて、先兆を読み取ることを説いた天台・妙楽の文を挙げている。
 天台の文は、表面にあらわれた現象を通し、物事の本質にあるものを見抜く智慧を示したものである。この文に照らせば、正像になかった現象が起きていることは、その奥に正像にない大法が興隆するという本質が秘められているのであり、その前兆が現れているということである。
 妙楽の文は、他の人が気付かなくても、智慧ある人は前兆から何が起こるかを知り、蛇は自身のこと(足がないように見えるが、実はあるということ)を知っていると述べている。
 これは、地涌の菩薩出現の先兆は、地涌の菩薩その人のみが知るということであり、大聖人のみがこれを知ることができるという意味と拝される。
 さらに「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」と述べられている。
 「法華を識る」とは仏法の真髄を極めるということである。仏法と世法の関係にあって、仏法に通達していることは、天が晴れ地が明るくなるようなものであり、現実社会の事象の本質を知るということである。
 この場合、世法を知るとは、天変地異が地涌の菩薩出現の先兆であることを知るという意味である。

第31章 総結

一念三千を識らざる者には……日蓮之を註す(同254㌻18行目~255㌻2行目)

 本抄全体の結論が示されている。
 一念三千を知らない末法の衆生に対して、仏は大慈悲を起こし、妙法の五字にこの一念三千の珠を包み、地涌の菩薩を使いとして、末代幼稚の凡夫の頸に懸けさせるのである、と。
 この御文は、本抄のこれまでの流れから言うと、「仏が大慈悲を起こし、一念三千を知らない末法の衆生のために地涌の菩薩を遣使還告として一念三千の珠を包む妙法蓮華経の五字(南無妙法蓮華経の本尊)を受持させる。成仏の種子である妙法蓮華経の五字を受持した人は仏の子になるのであるから、地涌の菩薩の導師である四大菩薩は仏の弟子として、重臣が王子を守るようにこの人を守護するのである」という意味になる。
 つまり、末法の衆生は、妙法蓮華経の五字即ち御本尊を受持することによって、必ず守られて成仏していくことができるとの御本尊の大功力を示されているのである。
 この場合、妙法蓮華経の五字を広める遣使還告の地涌の菩薩は、法華経の教相の上からは仏の久遠以来の弟子であるとされるが、その意味するところは久遠以来の妙法蓮華経を所持する人であり、仏種である妙法蓮華経の五字に習熟する菩薩であるということになる。
 だからこそ、その身に一念三千即久遠元初の自受用身の生命を顕し、その仏界の生命を御本尊として顕すことも可能なのである。
 したがって、遣使還告の地涌の菩薩(すなわち上行菩薩)の再誕である日蓮大聖人は、教相上は仏の弟子であるが、妙法蓮華経を末法に弘通する実践においては、内証の久遠元初の自受用身の御生命を顕現させ、末法の衆生を救う大法を初めて顕し弘める末法の御本仏であると拝される。
 また、ここで言われている仏の「大慈悲」とは、元意としては、大難を耐えて凡夫成仏の法を顕す戦いを貫く御本仏・日蓮大聖人の大慈悲である。
 日寛上人は「問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の本尊これなり。一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり」と述べている。
 「妙法の五字」、すなわち、南無妙法蓮華経には、事の一念三千という根本の仏の覚りの境涯が納まっており、万人が尊崇すべき対象である。
 そして、その根本の仏の覚りの境涯を凡夫の身のうえに実現されているのが、大聖人であられる。ゆえに大聖人を人本尊と尊崇するのである。
 日寛上人は、この御本尊の功力と正しい信心の在り方について、さらにこう述べている。
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。『幼稚の頸に懸けさしめ』の意、正しく此に在り。故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ云云」
 「末代幼稚」の凡夫である私たちが御本尊に南無妙法蓮華経と唱えれば、わが身が一念三千の御本尊、大聖人と等しくして異なることなく顕れる。
 最後に、大聖人はこの御本尊を持ち、南無妙法蓮華経と唱える人を、地涌の菩薩の導師である四大菩薩が守護することは間違いないと仰せである。
 なぜならば、妙法蓮華経を受持する人は必ず成仏できるので仏の子であり、また、仏の弟子である四大菩薩が仏の子を守るのは当然だからである。
 それは、かつて周の文王の家臣である太公望が文王の子である武王に仕え、武王の弟・周公旦が武王の子・成王を助けて周の国を守ったのと同じであり、また四人の賢人(四皓)が幼い恵帝に仕え奉ったのと同じである。
 このように、末法の凡夫に対する御本尊の絶大な功力が述べられ、本抄が締めくくられている。

(創価新報2015年6月17日号)