青年部年間拝読御書

青年部拝読御書 「観心本尊抄」研鑚のために⑧

第3段 本尊を明かす青年部拝読御書 「観心本尊抄」研鑚のために⑧

 青年部拝読御書「観心本尊抄」を学ぶ連載の第8回は、第3段の第29章を解説する。ここでは、日蓮大聖人こそ地涌の菩薩であることを明かし、地涌の菩薩が末法にのみ出現する理由について、正法・像法と末法それぞれの観点から述べられる。

此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す(御書254㌻)

第29章 地涌出現の時節を明かす

①本化出現の時節を明かす

疑って云く正像二千年の間に……者を指すなり(御書252㌻18行目~253㌻9行目)

 ここでは、地涌の菩薩が正法・像法ではなく、末法に出現すること、そして日蓮大聖人御自身が地涌の菩薩であることを明かしている。
 このことを述べるにあたって、問いを3回立てて、3回返答が拒否され、4回目の要請に応えて初めてその理由を説いている。
 これは、寿量品の説法の冒頭において用いられた「三誡四請」の説法の形式と同じである。寿量品では、釈尊が弟子に三度、これから説く教えを信受するように告げ、そのつど弟子は信受を誓って説法を請い、さらに重ねて四度目の要請を受けて仏の説法が始まる。
 本抄でも、この三誡四請の儀式を踏まえられている。そして、「地涌の菩薩の出現を説けば、皆、一切世間の諸人が、威音王仏の末法のように、大聖人を誹謗するであろう。それだけでなく、弟子たちも誹謗するであろう」と仰せられている。
 地涌の出現を説くことは、大聖人御自身が地涌の菩薩であることを明かすことになり、人々の怨嫉・不信を招くことになるから、このように仰せなのである。しかし、説かなければ、今度は大聖人が物惜しみをして人にものを与えないという「慳貪の罪」に堕ちてしまう。その葛藤のうえで、説き始められるのである。
 この問答は、地涌の菩薩の出現についての法門が、とりわけ重要な奥義であることを示唆している。それは、大聖人が御本尊を御図顕されることを指すゆえに、末法弘通の人を明かすことは、きわめて重要なことになるからである。
 答えの最初で大聖人は、法華経各品および涅槃経の文を挙げられ、仏が出現して教えを説いた本意は、末法の衆生を救うことにあると示されている。その仏意を受けて、地涌の菩薩は末法に出現するのである。
 引かれている経文は、法師品の「況滅度後」、寿量品の「今留在此」、分別功徳品の「悪世末法時」、薬王品の「後の五百歳」、そして涅槃経の「七子の譬」である。
 「七子の譬」とは、たとえば7人の子どものうち一人が病気になったとすれば、父母は子ども全員に平等でないはずはないが、病気の子どもについては特に深く心を傾けるものである、という譬えである。
 大聖人は、これらのくもりのない鏡をもって仏(釈尊)の真意を考えるならば、釈尊の出世それ自体が、法華経を説いた霊鷲山での8年間の会座にいた人々のためではなく、滅後の正像末の人々のためである、と仰せられている。
 しかも、さらにいえば、正像2千年の人々のためではなく、ひとえに末法のためであり、なかんずく「予が如き者の為なり」と、大聖人御自身のためであると仰せられている。すなわち、釈尊の出世は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御出現を予言し、証明するためであったといえるのだ。
 そのことをさらに、先に引いた涅槃経と法華経寿量品の経文で確認されている。
 涅槃経の文に示される「病者」とは、法華経誹謗の者すなわち末法の衆生を指す。正法を信ぜず、善根を持たない末法の衆生は、正像の衆生に比べて病の重い存在である。この病の重い末法の衆生に、仏はとりわけ心を砕いたのである。
 また、寿量品で釈尊が未来のために妙法の良薬を留め置いたと説かれるが、それも、謗法の毒気によって本心を失い、正法を信じようとしない衆生、すなわち、末法の衆生のために留め置かれたのである。このように、釈尊の本意も、最も病の重い末法の衆生を救うところにあったといえる。

②正像二時の教、機根、時について検証

地涌千界正像に出でざる……円時無き故なり(同253㌻10行目~14行目)

 次に、「地涌千界正像に出でざる……」以下で、なぜ正像時代に地涌の菩薩が出現しなかったのか、という点について、「機」や「時」や「教」の観点から述べられていく。
 最初に正法1千年の間の「機」「時」「教」が述べられる。正法時代は、小乗教・権大乗教が流布され、それで衆生が利益を得る時代であった。法華経を聞く、衆生の機根もなければ、法華経を弘めるべき時でもなかった。
 ゆえに四依の大士(声聞や菩薩たち)は、小乗教・権大乗教を弘め、それを縁として釈尊在世の下種を調熟・得脱させた。
 もし、この時に寿量品の肝要を説けば、誹謗する者が多くなり、せっかく下種を受け、調熟の状態にあるのを破ってしまうために説かなかったのである。それは、例えば釈尊在世にあっても、衆生の機根を整えるために、華厳・阿含・方等・般若と40余年にわたって爾前教を説き、それから法華経を説いたようなものである、と仰せられている。
 次に、像法時代には、迹化の菩薩が衆生の成仏のために姿を現した南岳や天台が、法華経迹門を表とし、寿量品を裏として百界千如・一念三千を説いた。
 天台宗の一念三千は、どこまでも法華経迹門を中心に立てられていることを指摘されている。いわゆる「迹面本裏」である。
 すなわち、天台は本門寿量品で明かされる真の一念三千(久遠の仏が悟った一念三千、文上では本因・本果・本国土の三妙によって示される)を裏付けとし(本裏)、迹門方便品の諸法実相・十如是の法理を表に立て(迹面)、理の一念三千の法門を説いた。ただ、法華経迹門の範囲では、十界互具と十如是まで、すなわち百界千如までしか示すことができず、厳密には一念三千の法理が完結しない。
 そこで天台は、迹門に説かれる百界千如の法理を中心としつつも、本門寿量品の本国土妙にもとづき、三世間の法門を用いることによって、一念三千の意義を尽くしたのである。
 天台が「迹面本裏」であるのに対し、大聖人は「本面迹裏」であるとされるが、これは天台の表裏を単純に逆転させたものではない。大聖人が面とされる本門とは、法華経文上の本門ではなく、文底独一本門の意であり、文上は本迹ともに迹となる。
 そのことが次に示唆される。すなわち、天台は理として衆生の一念に三千が具わることを説いたにすぎないのであって、事行の南無妙法蓮華経、並びに本門の本尊を広く行じたのではなかった。
 事行の南無妙法蓮華経とは、久遠の仏が修行し、悟った文底下種の妙法であり、本門の本尊とは、その妙法と一体化した法即人、人即法の仏の生命そのものである。
 結局、天台が立てた一念三千は、脱益文上の法華経の域を出ず、教主釈尊が説いた範囲にとどまるものであった。正法・像法時代には、誰一人として本門の本尊を顕すことはなかったのである。

③四菩薩の振る舞い

今末法の初……正法を弘持す(同253㌻15行目~254㌻2行目)

 最後に、末法の「時」「応」「機」「法」について述べられていく。
 末法に入れば、小乗をもって大乗を破り、権教をもって実教を破り、あたかも東を西といい、西を東といい、天地が転倒したような大混乱の時代を迎える。このため、迹化の四依の菩薩は隠れて影を潜め、諸天善神もこの国を捨てて守護しない、と仰せになっている。
 これは、末法という時代は、釈尊在世に下種を受けた衆生がすでにいなくなり、謗法の者ばかりになっている、ということである。
 ゆえに大聖人は、「こういう時代にこそ(時)、地涌の菩薩が初めて出現し(応)、南無妙法蓮華経の五字(法=御本尊)を、末法の幼稚な衆生(機)に服させるのである」と断言されている。この仰せは、本抄の題号に対応する。
 大聖人は、妙楽の「謗ずる因によって悪に堕ち、必ずその因縁によって大利益を得る」との「逆縁」についての言葉を引用されている。すなわち、末代幼稚の凡夫は、妙法の良薬を聞いても信じないばかりか、かえって誹謗する。けれども、たとえそれが因となって悪道に堕ちたとしても、必ずその因縁で妙法と結縁し、大利益を得ることができるのである。
 正像は順縁の機である。在世に下種され、調熟・得脱のプロセスを踏むべき衆生であるから、妙法を下種することはかえって衆生の機根を損なってしまう。プロセス通り、小乗・権大乗を弘通すべき時なのである。
 しかし、謗法ばかりの時は、妙法を説いて、そのために誹謗してきたとしても、もともと謗法に染まっているのであるから、損なうものはない。むしろ、順縁ならもちろんのこと、逆縁を結んでも成仏の種子を植えることができるのが末法である。
 以上のことを踏まえて大聖人は、地涌の菩薩は末法に必ず出現することを結論されていく。(地涌出現について「深く思索しなさい」と弟子たちを促されているのは、大聖人の一門が地涌の菩薩の出現にあたるからである)
 地涌の菩薩は、久遠の過去に成仏した釈尊を師として仏道修行に入った弟子であり、尊貴な大菩薩である。
 にもかかわらず、釈尊が成道した菩提樹下の「寂滅道場」にも参加せず、沙羅双樹の林での入滅の時にも姿を現さなかった。久遠以来の弟子であるにもかかわらず、仏の成道と涅槃の時に参加していないのである。これは「不孝の失」であり、もし末法に出現しなければ、この失を免れることはできないと仰せになっている。
 法華経迹門14品の説法にも参加せず、本門の6品(薬王品第23以降)には座を立ってしまった。地涌の菩薩は、ただ涌出品第15から嘱累品第22までの本門の8品の間に現れたのである。
 このように高貴な大菩薩が、三仏(釈迦・多宝・十方分身の諸仏)と約束して、妙法五字を譲り受け、所持していたのであるから、末法の初めに出現しないはずがあろうか、必ず出現するに違いない、と大聖人は確認されている。
 そして、この四菩薩が末法に出現する具体的ありさまについて、折伏を実践する時は賢王となって愚王の悪を誡め、責める。摂受を行ずる時は、僧となって正法を弘持していく、と仰せられている。すなわち、地涌の菩薩は、「時」によって僧俗にわたって出現するということである。
 この御文について、日寛上人は、折伏に「法体の折伏」と「化儀の折伏」の二意があるとされている。
 「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」が「化儀の折伏」に当たる。この場合の化儀とは、法を弘めるための現実的実践のことである。現実社会の中で仏法を弘め、その力を時代、社会、文化等の面で具体的に顕現しながら民衆を救済する実践を行っていくのが「化儀の折伏」に当たる。
 愚王を誡責する化儀の折伏を行ずるのが、「賢王」すなわち在家である。現代にあって困難と戦いながら妙法を弘める私たちの活動は、地涌の菩薩の折伏の行動にほかならない。
 そして、「摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」が「法体の折伏」に当たる。「法体の折伏」とは、正法を説き顕し、法の正邪を明らかにしていくことをいう。日寛上人は、諸宗の邪義・邪法を破折して三大秘法の法体を建立された大聖人の実践が、この法体の折伏に当たるとされている。
 つまり、ここで用いられている摂受と折伏は、あくまで「折伏の上の摂受(=法体の折伏)」と「折伏の上の折伏(=化儀の折伏)」という意味となるのであって、いずれも末法における弘教の方軌は「折伏」となることはいうまでもない。

(創価新報2015年5月20日号)