青年部拝読御書「観心本尊抄」を学ぶ連載の第7回は、第3段の26章から28章までを解説する。法華経の本門が序分・正宗分・流通分ともに、末法の衆生のために説かれたことの文証を挙げつつ、末法における地涌の菩薩の弘経が明らかにされていく。
今の遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり(御書251㌻)
問うて曰くその証文……久成の人に付す」等云云(御書249㌻18行目~250㌻13行目)
最初に本門序分の文を挙げられている。すなわち、涌出品の「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」などの、釈尊が迹化他方の菩薩に対して、滅後の法華経弘通を制止したことを示す文である。
日蓮大聖人は、この迹化他方に対する制止は、迹門流通分(法師品第10から安楽行品第14まで)の経文とは「前後水火」であると指摘されている。
というのも、迹門で釈尊は、大音声で「だれか、この娑婆世界で妙法を広く説く者はいないか」(見宝塔品第11)と、弟子たちに仏滅後の弘通を呼び掛けている。しかも、釈迦一仏だけでなく、多宝仏・十方諸仏も来集し、その説法を賛嘆して菩薩たちに勧めているのである。この呼び掛けに応じて、「我れは身命を愛せず」と弘経を誓った菩薩たちを涌出品で制止するのは仏語に矛盾があり、とうてい凡智では理解できないことであると仰せられている。
この迹化他方の制止の理由、並びに地涌の菩薩を召し出した理由として、天台は「前三後三」の6点にわたる解釈を掲げているが、大聖人は迹化他方の菩薩には、仏の「内証の寿量品」を授与できないからであるとされ、その理由として、①末法は謗法の国であり、衆生の機根は悪機であるから、迹化他方の菩薩では寿量品の肝心である南無妙法蓮華経の弘通に耐えられない②迹化の菩薩は釈尊初発心の弟子ではない、つまり、久遠以来の弟子ではないという2点を挙げられている。
「内証の寿量品」とは、寿量文底の南無妙法蓮華経をあらわす教えとしての寿量品のことである。涌出品で出現した地涌の菩薩に対し、神力品で釈尊から結要付嘱がなされ、滅後の弘通が託されるのであるが、付嘱された法体とは、文上の法華経ではなく、文底の妙法である。地涌の菩薩は、釈尊が久遠以来、教化し続けてきた仏の本眷属であるゆえに、仏の内証の法体を受持することができ、しかも悪世において弘めていくことができるのである。
引き続き示されている天台・妙楽等の釈は、なぜ釈尊は地涌の菩薩に付嘱したのかという上述の理由を裏付けたものである。
又弥勒菩薩疑請して……末法の時」等云云(同250㌻14行目~251㌻6行目)
この段では、本門正宗分の一品二半の中から文証を挙げられている。
すなわち、涌出品第15の「動執生疑」の文と、寿量品第16の「良医病子の譬」、そして正宗分には入らないが分別功徳品第17の「悪世末法の時」の三つの文を挙げ、本門正宗分が末法のために説かれたことを述べられている。
まず涌出品の文は、地涌の菩薩について釈尊が「久遠より已来、自分が教化してきた人々である」と述べたこと(略開近顕遠)に対して、弥勒等が「どうして世尊は成道以来の短い間に、これほど多くの地涌の菩薩を教化できたのか」と疑いを起こし、「我等は仏の説法を信じるけれども、仏滅後の衆生でこれを疑う者が出て、法を破る罪業を作ってしまうといけないから、詳しく説いてほしい」と釈尊に要請したものである。
それに答えるのが寿量品の説法であるから、この弥勒菩薩の要請自体、寿量品の説法が、釈尊在世のためではなく、仏滅後の衆生のために説かれた説法であることを示している。
まさに、寿量品は滅後を正意としていることを明かしている経文なのである。
次に、寿量品の「良医病子の譬」(譬如良医)が挙げられている。
最初に引かれている経文では、毒薬を誤って飲んで苦しんでいる子どもたちに、父である良医が良薬を与えた時、その薬を服して病が癒えた子どもと、本心を失って薬を飲もうとしない子どもがあることが説かれている。
そのうち薬を飲んで病が癒えた子どもとは、法華経本門において得脱した在世の衆生を譬えている。
具体的には、五百塵点劫の久遠の昔に下種され、大通智勝仏の第16王子(釈迦菩薩)によって法華経と結縁し、華厳・阿含・方等・般若の爾前経(前四味)、法華経迹門までの教えを受けた一切の菩薩、二乗、人・天等が法華経本門で得脱したことであると大聖人は仰せられている。
また、本心を失って薬を飲もうとしなかった子どもとは、末法の衆生を譬えている。大聖人は、分別功徳品の「悪世末法の時」という文を引くことによって、そのことを示されている。
「良医病子の譬」では、この薬を飲もうとしなかった子どもたちを、どう救うかが主題になっている。その内容が以下の経文である。
本心を失っている子どもたちも、父である良医が帰って来た時は、歓喜し治してほしいと父親にお願いするが、薬を飲むことはなかった。それは、毒気が深く入って、正気が全くなくなってしまっていたからである。好き色も香りもあり、味もよい薬をおいしくないと思い、飲もうとしない。
そこで良医は、一つの方便を用いる。
つまり、「良薬をここに置いておく。飲むがよい。病は癒えないだろうと思ってはならない」と言い残して、良医は旅に出て、旅先から使いを派遣し、子どもたちに告げさせた。
ここで引用は終わるが、譬えの続きは、その使いが〝父親が死んだ〟と告げた言葉で、本心を失っていた子どもも正気を取り戻し、父の置いた良薬を服して病を癒すことができたことが説かれている。
この譬えは、仏が入滅という方便を用いて、滅後の衆生に自分の残した法(良薬)を信ぜしめるという寿量品の主題をあらわしているのである。
最後に引用されている分別功徳品の「悪世末法の時」の文に端的に明らかなように、法華経本門正宗分は末法のための教えなのである。
問うて曰く此の……何に況や他方をや(同251㌻7行目~10行目)
続いて大聖人は、特に寿量品の「良医病子の譬」に説かれている「遣使還告(使を遣わして還って告ぐ)」の「使い」とはだれか、また、仏が残した「是好良薬(是の好き良薬)」とは何かについて論じられ、末法弘通の「人」と「法」を示されている。
まず「使い」とは、広い意味で四依(仏滅後に正法を宣揚し、人々の依りどころとなった人)のことで、時代によって四依は異なるが、末法の四依とは地涌の菩薩であると示されている。したがって、「今の遣使還告は地涌なり」と仰せなのである。
また、仏が留め置いた「是好良薬」とは、「寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経」であると結論づけられている。
日寛上人は、この「肝要」とは「文底の異名」であると述べられている。すなわち、「我が内証の寿量品」「寿量品の肝心」等と示唆されてきた文底下種の大法のことである。また、「名体宗用教の南無妙法蓮華経」とは、単なる法華経の経題(名)としての妙法蓮華経ではなく、名はもちろんのこと、体(究極の理法)も宗(成仏の根本の因果)も用(功徳)もそなえた教法としての三大秘法の南無妙法蓮華経を意味する。
神力品に云く……現じ給う」等云云(同251㌻11行目~252㌻12行目)
次に、法華経本門の流通分から、神力品第21、嘱累品第22の文を挙げられている。
まず神力品の「爾の時に、千世界微塵等の……此の経を説くべし」の文は、地涌の菩薩が末法でこの経を弘めることを誓う場面である。
この文から、天台は「但下方(地涌の菩薩)の発誓のみを見たり」、道暹は「法是れ久成の法(妙法)なるに由るが故に久成の人(地涌の菩薩)に付す」と述べている。いずれも、神力品では付嘱を受けるのが地涌の菩薩のみであることを指摘しているのである。
ゆえに、このあと、文殊・観音・薬王・普賢の諸菩薩は皆、不動仏や西方無量寿仏など、他土の仏の弟子であって、一往、釈尊の化導を助けるために娑婆世界に来た菩薩であり、また、爾前迹門の菩薩であって、久遠の妙法五字を持っていないゆえに、末法にその法を弘める能力はないので、彼らは神力品の付嘱を受けられなかったのであると明かされる。
続いて、同じ神力品の「爾の時に世尊乃至一切の……広長舌を出し給う」の文が挙げられている。
このように十神力が現じられたのは、そのあとに地涌の菩薩に付嘱される妙法の偉大さを強調するためである。
ゆえに「このように広大な力を持った仏であっても妙法の功力の大きさは説き尽くせないほどである」(趣意)と述べ、「要を以て之を言わば……此の経に於て宣示顕説す」という結要付嘱の文が示されるのである。
「要を以て之を言わば」以下は、「四句の要法」の文と呼ばれ、先に述べた名体宗用教の五重玄が込められている。
①如来の一切の所有の法=「名」。
②如来の一切の自在の神力=「用」。
③如来の一切の秘要の蔵=「体」。
④如来の一切の甚深の事=「宗」。
そして、「此の経に於て宣示顕説」が「教」に当たる。
次に、この文についての天台・伝教の釈を挙げ、仏が妙法蓮華経の五字を地涌の菩薩の上首である上行・安立行・浄行・無辺行の四大菩薩に授与したことを強調されている。
なお、この「十神力」については、前の五神力は在世のため、後の五神力は滅後のためという一往の区別があるが、再往は一向に滅後のためであるとされている。
次下の嘱累品に……捃拾遺嘱是なり(同252㌻13行目~17行目)
次いで、神力品のあとの嘱累品の総付嘱について言及されている。「総付嘱」とは、神力品で地涌の菩薩に別して付嘱した(別付嘱)あと、すべての菩薩たちに対して法華経を付嘱した儀式である。
すなわち、「爾の時に釈迦牟尼仏……汝等に付属す」とあるように、地涌の菩薩を先頭に、迹化他方の菩薩、さらに梵天・帝釈・四天王等に、この経を付嘱したとしている。
この総付嘱が終わると、十方世界から集まってきた分身の諸仏は、皆、それぞれの本国土に帰っていく。また、虚空に出現していた多宝仏の塔も閉塔し、宝塔品第11から繰り広げられてきた「虚空会の儀式」が終了する。
地涌の菩薩が去った後の薬王品第23以下、涅槃経までは、漏れた衆生のために、迹化や他方の菩薩等に対して、重ねて法華経等を付嘱したものである。このように、別付嘱、総付嘱が終わっても、なおかつ重ねて付嘱したことを「捃拾遺嘱」という。「捃拾」とは拾い取るという意味である。
以上のように、本門は、その序分・正宗分・流通分のいずれにおいても、滅後末法のためということが明言されている。このことから、法華経の本門全体が末法のために説かれたことが明らかなのである。