青年部年間拝読御書

青年部拝読御書 「観心本尊抄」研鑚のために①

第1段 一念三千の出処を示す青年部拝読御書 「観心本尊抄」研鑚のために①

 「顕仏未来記」に続く青年部拝読御書は「観心本尊抄」。末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の本尊について説き明かされた「法本尊開顕の書」を学ぶ。連載の第1回は、背景と概要、第1段を解説する。

本抄の背景と概要

(摩訶止観)
 夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す(御書238㌻)

背景

 「観心本尊抄」は、文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、流罪地の佐渡・一谷で御述作され、下総(現在の千葉県北部と茨城県南部)の富木常忍に送られた。
 大聖人は、文永8年9月12日の「竜の口の法難」を経て、同年10月から文永11年3月までの約2年半の間、佐渡の地に流罪された。流罪地においては、劣悪な環境の中で不自由な生活を強いられただけでなく、その命を狙う者も絶えなかった。
 危機的で困難な状況が続いていた中で、大聖人は、文永9年2月に「開目抄」を、翌10年4月に本抄を認められたのをはじめ、多くの重要な御書を著された。特に本抄と「開目抄」は、そのなかでも最重要の書である。

法本尊開顕の書

 「開目抄」では、大聖人こそ法華経に説かれた通りに大難を乗り越えてこられた〝真の法華経の行者〟であり、末法の衆生を救う成仏の要法たる南無妙法蓮華経を説き弘められる〝末法の御本仏〟であることを示されている。ゆえに「開目抄」は「人本尊開顕の書」といわれる。
 これに対して「観心本尊抄」は「法本尊開顕の書」といわれる。すなわち本抄では、法華経の肝要の法である妙法蓮華経の五字を受持することによって、凡夫(九界の衆生)の生命に事実として仏界が涌現するという「事の一念三千」の観心が成就することを明かすとともに、その修行の明鏡となる南無妙法蓮華経の曼荼羅本尊を、大聖人が末法の救済のために顕されることを宣言されている。

題号について

 本抄の原文は、漢文で書かれている。題号も「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」となっており、その読み方について古来、諸説あったが、日寛上人は、「時・応・機・法」の四義から、「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読むべきであるとされている。
 四義の「時」とは仏が法を説く時、「応」とは衆生に応じて仏が出現し、法を説くこと、「機」は仏の説法を受け止める衆生の能力・機根、「法」とは仏が説き弘める教えをいう。
 この四義に題号を当てはめると、「如来滅後五五百歳」(釈尊が入滅してから5番目の500年、つまり末法の初めの意)が「時」、「始む」(大聖人が初めて弘むの意)が「応」、「観心」(末法の衆生の信心)が「機」、「本尊」(根本尊敬の信仰の対象)が「法」となる。
 特に「如来滅後五五百歳に始む」との言葉は、この御本尊が正法・像法時代には弘められていない未曽有の本尊であり、末法の御本仏が初めてこれを顕し弘める、との意が込められている。
 また「観心」とは教相の対語で、教相が教説を理論的に究明することであるのに対し、観心は教説に説かれた真理を己心に観ずる修行を意味する。特に大聖人の仏法では、己心に究極の真理である「十界互具」・「一念三千」を観じて、仏界を涌現していく実践、すなわち成仏を目指す修行・実践を観心としている。
 「観心の本尊」とは、爾前権経、法華経迹門、そして法華経本門の文上に説かれる「教相の本尊」と区別する意味がある。大聖人が御図顕される御本尊は、大聖人御自身の観心、すなわち大聖人が己心に事実として成就された一念三千(事の一念三千)を、末法の衆生の修行の明鏡として顕された本尊であり、経文上の仏や菩薩を本尊とする教相の本尊ではない。このように教相の本尊との区別を明確にするために「観心の本尊」と「の」の字を入れて読むのである。
 こうした点から、本抄の題号には、大聖人が末法の御本仏の御立場から、末法全世界の一切衆生のために、成仏の法である観心の本尊を初めて顕し、弘めるとの大宣言が込められていると拝される。
 日寛上人は、文底下種の本尊の無量無辺にして広大深遠の功徳について、次のように述べている。
 「故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」

第1段 一念三千の出処を示す

第1章 一念三千の出処を示す

摩訶止観第五に云く……一界に三種の世間を具す(同238㌻初め~4行目)

 本抄の冒頭では、一念三千の出処は『摩訶止観』第5巻であることが示される。大聖人は、まず、一念三千の法門を明かした摩訶止観の文を引用されている。
 一念三千とは、衆生の起こす一念の心に三千の諸法が欠けることなく具わっていること。一念とは、瞬間の生命をいい、三千とは、十界互具・十如是・三世間によって構成される一切法、すなわち現象世界の全てである。したがって、一念三千とは、衆生の生命(一念)に現象世界の全て(三千)が欠けるところなく収まることであり、逆にいえば一念が一切法へと遍満していることをいう。
 冒頭にこの摩訶止観の文を引用されているのは、本抄で明かされる「観心の本尊」が事の一念三千の当体であるからであり、その典拠を示されるためである。
 もとより、大聖人の一念三千と天台の一念三千は事と理の違いがあるが、どちらも法華経に基づいていること、「不可思議境」すなわち妙法と一体の不可思議な境地を示していること、また、その境地を心に観じて成仏していく観心の実践があることなどの共通点があるので、天台の一念三千の文を事の一念三千の本尊の典拠にされていると拝することができる。
 なお、日寛上人は、この一念三千の文は「観心の本尊」の依文であるとされ、「夫れ一心に~三千種の世間を具す」の部分は「本尊」にあたり、「此の三千~即ち三千を具す」の部分は「観心」にあたるとされている。
 「本尊」にあたる部分の「一心」とは寿量文底の本仏(久遠元初自受用報身)の一心であり、御本尊の中央の南無妙法蓮華経によって表されていると拝される。その一心に十法界ないし三千世間が具するというのは、まさに事の一念三千を示しているのであり、その三千は御本尊の左右の十界の衆生によって示されている。
 また「観心」にあたる文の「一念の心」とは信心を意味し、われわれの信心の一念に、事の一念三千の本尊が事実として具わることを示しているのである。

第2章 止観の前四等に一念三千を明かさざるを示す

問うて云く玄義に……心に異縁無れ』等云云(同238㌻5行目~239㌻2行目)

 ここでは一念三千の法門が『玄義』、『文句』、また『摩訶止観』の前の4巻に明かされず、『摩訶止観』第5巻の正修止観(正しく止観を修する)章に至って初めて明かされていることを確認されている。
 このように一念三千がどこに明かされるかを詳細に論じられているのは、一念三千の法門が教相ではなく、成仏を目指す修行、すなわち観心のための法門であることを確認される趣旨であると拝せられる。妙楽が「三千を以て指南と為す」と述べているように、一念三千の法門をもって、観念観法の修行を行う際の指標とするのである。このことは大聖人の仏法において、事の一念三千の本尊が仏道修行の拠り所となっていることと対応する。

第3章 一念三千を結歎

夫れ智者の弘法……悲む可し』云云(同239㌻3行目~7行目)

 ここでは、一念三千の法門が、いつ説かれたかについて結論づけるとともに、天台・章安の滅後に他宗に盗まれたことを、歎くべきことであるとされている。
 「智者の弘法三十年」とあるのは、天台が30歳の時に『法華玄義』を説き始めてから60歳で入滅するまでを指す。
 天台は『法華文句』『法華玄義』において百界千如は説いたが、一念三千の法門は説かなかった。一念三千は天台が最晩年に講じた『摩訶止観』において初めて明かされたのである。
 天台・章安の滅後、中国に華厳宗、真言宗が広まった。この2宗は、天台宗の一念三千の法門が優れていることを知り、それぞれの依経にも同じ法門が説かれていると主張して一念三千の法理を自宗の中に盗み入れた。
 章安以後、天台宗の僧侶たちは華厳宗・真言宗の邪義を破折できず、かえって彼らの教義から影響を受ける者まで現れた。その流れに抗して天台の正義を宣揚したのが妙楽である。

第4章 一念三千情非情にわたるを明かす

問うて曰く百界千如と……具足す』等云云(同239㌻8行目~18行目)

 ここで大聖人は、百界千如と一念三千との違いについて、百界千如は有情界に限られるのに対し、一念三千は有情・非情ともに成仏する法理であると明かされる。
 天台の一念三千は、法華経迹門の方便品の「諸法実相・十如是」の文理によって打ち立てられているが、厳密にいえば、迹門で明かされるのは百界千如までで、本門の寿量品で釈尊の久遠実成が示され、我々が住む現実の娑婆世界が久遠の釈尊が常住する本国土であること(本国土妙)が明かされたことによって、現実の国土に仏界が具わることが明らかになった。
 すなわち、非情である草木にも仏界が具わるといえるようになったのである。しかし、一般に〝情〟をもたないとされている草木に仏性が具わり、それが顕現されるなどとは信じ難く理解しがたい。
 そこで大聖人は、次の問答で、非情・草木の成仏という法門こそが最も難信難解であることを示されている。「難信難解」とは、法華経法師品の文であるが、大聖人はここで、「教門の難信難解」と「観門の難信難解」を立てている。
 「教門の難信難解」とは、釈尊の一代聖教に、爾前経では二乗は「永不成仏」と説きながら、法華経迹門では「二乗作仏」を説き、爾前経と法華経迹門では「始成正覚」を説きながら、法華経本門では「久遠実成」を説いたことが挙げられている。これは、全く「一仏二言」「水火」の相反する説法であり、それゆえに法華経は信じ難い。
 それに対し「観門の難信難解」とは、一念三千、なかんずく非情界にも色心の二法・十如是が具わることについて示されている。大聖人は、木像・絵像を本尊とすることも、草木に色心の因果を認め、草木成仏が説かれて初めて成り立つのではないかと述べられている。
 すなわち、天台の草木成仏の義がなければ、諸宗の立てている木絵の像は本尊となりえないことになる。そして、草木国土という非情の存在にも十如是、因果の二法が具わっていることを説いた三つの文証を挙げられている。
 まず、『摩訶止観』第5の文は、国土世間にも十如是が具わっているという文である。
 次に、十如是が具わるということは色心が具わることであるとの文証として、妙楽の著した『法華玄義釈籤』第6の文を示されている。
 最後に妙楽の『金剛錍論』の文は、この二つを総括して、森羅万象の全てが正因仏性とともに了因仏性、縁因仏性をも具えていることを述べたものである。
 正因仏性とは仏性の本体のことであり、万物が妙法の当体であること自体をいう。了因仏性とは正因仏性を覚知する智慧の働きで、その智慧が生命に本来具わっているのである。また、縁因仏性とは了因の智慧を助ける働きをもつ修行のことである。
 非情の存在に三因仏性があるということは、非情の草木・国土も縁にあえば仏界を現じるということにほかならない。

(創価新報2014年9月17日号)