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hishaism
これは批判ではなくて、音楽に関するちょっとした困りごとなのですが。
他の人の楽曲を聴くとき、僕はいつも「ここにはどういう意味があるのだろう」と考えます。ここでいう意味というのは言葉だけではなくて、聴いた人が感じる気持ち、ハートだってそうです。
僕にとっての音楽はドラマです。なにかの風景、雰囲気、人物、香り、ひとつの世界です。音楽に触れるようになって日の浅い僕ですが、これはひとつの信念です。ですから、「何も想像できない音楽」と出会えば、戸惑うか、心を閉ざして「かっこいいね」などと表面的なことを言うしかありません。
しかし「何も想像できない音楽」というのは、言い換えれば「自分がその曲から何も引き出せていない」ということです。それは、自分の身体にその音楽が馴染んでいないということが多いと思います。、万が一には、作った人が音楽家にはあるまじき態度で、工場の流れ作業のように作品を作っている場合もあるかもしれませんが(しーっ!)。
それはさておき、最近の僕はどんな音楽を聴いても「よく分からない」としか言えないことがかなりあります。「この曲のどこがよいのか」というとケンカを売っているように思われそうですが、正確には「どうやって聴けばよいのか」です。
勉強不足というか経験不足というか、それ以前に、”遭遇したときに好奇心を掻き立てられる未知の何か”になかなか出会えずにいます。ほとんどの場合は、根気よく聴いてだんだん魅力を分かるようになるものなのかもしれませんね。
こんにちは!
そんな時は「将棋」をやってみると良いんではないでしょうか..??^^;;
他には、
DTMの音楽とバンドの音楽では、全く別のの世界が広がっていて、
バンド演奏だと、『楽器を通して直接、人の魂に触れる事が出来る』『音が直接相手の脳内に突き刺さり、しかもそれに相手は気付き、ちゃんと返事してくる』ため、特にライブなんかはもの凄いです。言葉で書けないくらいもの凄いのです☉∀☉)!!
スーパーサイヤ人になったように、金色の炎が身体を取り巻く訳です^^
その後に、黒人音楽とかを聴いてみると、『ピーン』っと魂に響いてきて、「だからソウルなんだ。」と特に身を持って感じられたりします。(バンドのセッションとかやったあとって確かに音楽の視点ともかわるんです。)
日本人なんかは、グルーブって言う概念に幼い頃から触れている子は少ないので、音楽やってない人はなかなか気付けないのですが、
ずっと楽器やってると「これか!」と分かる時が来て、...それからようやくジェームスブラウンとかがが神である事に気付いたりするのです...^^;
私はまた気持ちの整理したりを編集したり、出したり、そう言う意味でDTMで音楽をする事も凄く大事にしてます。
ただ魂に響く刺激を得るには、音楽以外の精神的な刺激「絵画や写真、映画....いろいろ」、
あと、肉体的な刺激「食事や運動、睡眠。休息」.....等、
あとは趣味とか、(......将棋とかも良いかも知れません。^^;笑)
それらの全体的な、inとoutのバランスが整うと、さらに音楽が心に響いてくるようになるのだと感じます。
好奇心を掻き立てる刺激は、多分溢れるほどあるもので、多分人によって違うので、私は何も言えませんが、色んな世界があると思います。
私もよく分からないものは見かけますが(でもそこにはものすごい面白い世界があるのかも知れません。)、無理して聴かなくても、その時に心に突き刺さるものを聴くのが良いのではないでしょうか...m(__)m
ps.私は将棋は出来ませんが....orz。
【まる☆ぼろ】2013-09-16 15:31:32 +0900
バンドをやってた頃はどのバンドライブを見ても「あら探し」の気持ちでそのバンドの良さを「理解しよう」と言う気持ちを持てませんでした。いざ引退してからは当時嫌いだったA●B48を聞いてみたりすると「何故嫌いだったのだろう?」と思える作品ばかりでした。ライバル心や自分を持ってる人にはいつの間にか壁が生まれている場合もあるんだなーって思いました。
気づけばレパートリーも少なく当時の僕の作曲は二歩で王手でした。
そして今は桂馬の高飛びです、
MAKO MUZIK2013-09-16 15:41:14 +0900
自分も昔は
「香車」のようでした。
が時を経て成駒から「金」となり
視野を広げ純粋に
いろんなジャンルを聴き
好きな要素だけを取り入れています♪
Shara2013-09-16 16:51:07 +0900
こんにちは
私も飛車角さんと同じように、良さがわからない曲があったりもします。
それは、私自身の問題で、聴いて来た音楽の違いによるものと理解しています。
飛車角さんが書かれているように、聞き慣れない曲は馴染みにくいので、
良さがわからないというのは仕方ない事だと思ってます。
無理して聴かなくても、自分好みの曲だけを聴く というのもありだと思いますし
興味があれば、類似ジャンルでいろんな人の曲を聴いてみるのも良いかもしれません。
聴いているうちに、何か惹かれる物が見つかるかもしれません。
作り手(といっても、最近ほとんど曲を書いてないですが・・・)の立場で言えば、
聞き手の意見は貴重で、私の回りにも曲を書く人や聴いてくれる人が居ますが、
聴かせどころはどこ? とか、あっさりしすぎて面白くないね
とか率直に意見を言ってくれます。
ありがたいのは、聞き手/作り手の立場で、
抽象的ではありますが、色々と改善点を言ってくれることです。
何が良いのかわからない だけだと、自分の狭い世界の中では
何が悪いのかわからなかったりしますが、
改善点を指摘してくれると、なるほど!聞き手はこう思ってたのか と
新しい気付きがあり、プラスになる部分があります。
あと、かなり特殊ですが、私の個人的な楽しみ方を紹介します。
私は、かなり変わった聞き方をしており、
曲を聴くと、ついつい各パートに耳が行ってしまいます。
ベースラインのフレーズがカッコいい!
オブリガードの半音階上昇フレーズが面白い!
とか、曲全体ではなく、各パート単独で聴いている事が多く、
作り手の特徴(得意な楽器)が出てて面白いです。
私は、自称パーカッショニストなので、
予測出来ないリズムとか、聞き取れないリズムとか出て来たら
ワクワクしたりします(笑
hishaism2013-09-16 20:03:04 +0900
まったく個人的な悩みなのにコメント下さってありがとうございます・・・!感激です。
>>yukiさん
音楽を直接体験したときの脳内に突き刺さる感覚、どうも僕にはそれが欠けていることが多いのだと思います。
というのも、知っている曲や耳に馴染みのある曲のよい演奏を実際に聴けば、魂みたいなものを感じることができる気はします。ですけど、(引き合いに出すのも申し訳ないことですが)たとえば前衛的な現代音楽の作品などになると、そこから何かを感じることさえ難しくなってしまうのです。
そこで僕が待ち望んでいるのは、コメントで書いて下さった「「これか!」と分かる時」、まさにそれなんだと思いました!ずっと楽器をやっていて、なにかのきっかけに至るような境地。
これを聴き手にとってもいうことはできないものでしょうか? 楽曲の魅力、音楽が自分に入ってくるようなきっかけ。「苦手な曲を無理して聴かない」という先の世界を味わうために、あえてその音楽と立ち向かってみるためにはどうしたらよいのか。
それができたら、”ものすごく面白い世界”が見つけられるかもしれないという期待があります。と同時に、どうしたらいいのかという戸惑いが残ってしまうんですけどね・・・。
yukiさんほどの方でも「ある音楽がよく分からない」ということがあるということで、少し安心したような気もします。まして僕ならそれもそうだろうと(^^;
hishaism2013-09-16 20:09:24 +0900
>>まる☆ぼろさん
「良さ」をみつめようという視点、とても素晴らしいと思います。そしてその変化のきっかけになったというバンドの引退、自分を捨ててみることというのは一つの大きな答えだなと感じました。
たとえば、人気なものをやたら否定したがるというのは僕にもある傾向だったりするのですが(^^;)、聴いてみると素晴らしい・・・なんてことがあるかもしれませんね!
桂馬の高跳びは恐ろしいですね!相手の防御を超えて王手をかけることのできる唯一の駒!
hishaism2013-09-16 20:14:40 +0900
>>MAKO MUZIKさん
香車のように相手の防御を貫通させてしまうようなスタイルって、成れないとどうにもならないので危ないとも言えますよね。成ることができたというのがお見事です。
好きなところだけを取り入れて自分の音楽を作り上げてゆく、それがぼくにもできたらどんなに楽しいのかと思います!難しい!
hishaism2013-09-16 20:49:12 +0900
>>Sharaさん
聴いてきた音楽の違い、ほんとうにその通りだと思います。ちょうど言語と同じで、なじみがなければ分からないということですね。
日記では長々と書いてしまって申し訳ないのですが、言いたいことはとてもシンプルで、つまり「馴染みのない聴き慣れない曲をどうやったら好きになれるのか」という疑問です。
コメントで書いて下さった「自分好みの曲だけを聴く」というスタイルとは真逆の方向へ足を踏み出すにはどうしたらいいのかということですね。それは、コメントでは”必要ない”と書いて下さった、「無理をして聞く」ということも一つの答えなのだと思っています。それで、だんだんその曲からイメージすることができるようになる場合も十分考えられます。
「この曲のどこがよいのか」というと、その曲が悪い、改善すべき点があるというような意味にもとれてしまいますが、そんなに偉そうなことを言うつもりは全くないのです(^^;)。でも、改善点を教えてくれる人というのはとても貴重だと思いますね。
楽曲の聴き方、とても魅力的ですね!ぼくも、ピアノの曲を聴くときに複数のパートが歌っていたりすると、にやっとしちゃいます。
予測できないリズムはともかく、聞き取れないリズムというものもあるんですね!すごい世界です・・・
yuki2013-09-17 10:30:25 +0900
どうもです^^
たしかに、全く新たな世界に足を踏み出すというのは、自分の近しいものだけを追い求めていても得られないものなのかも知れません…orz
私は、(どこの国の人だか忘れてしまったのですが)、生活とリズムが一体化している民族の映像を見た事があります。
その人達は、楽器を使って音楽を演奏したりはしませんが、家事も仕事も遊びも、どんな道具を使っているときも、それでリズムを奏でながら行います。
彼らはリズムにあたる概念の事を、「フォリ」と呼びます。
彼らは生活が音楽で出来ているのです。
その民族の儀式では、太鼓のようなものを皆で奏でながら、衣装を身に着け、踊ったりします。かなり高度なレベルの踊りで、例えば、日本人のプロダンサーどころか、その辺の世界のプロダンサーをも凌ぐほどのレベルだと感じました!
それは幼い頃からずっと音楽を体現していた彼らの本物のリズム感によるものだからです
。
彼らには多分、「作曲家や演奏家」「音楽を鑑賞する人」
そんな区別が存在しないし、むしろ意味の無いものなのかも知れません。
でもそれこそが「本物の音楽の根源に存在する情動」そのものの姿だと感じました!
私は、リズムを感じたり奏でたりするのに、
『楽器の鍛錬』が絶対に必要なのか、というと、そうではないと感じます。
自然界の風や雨のリズム、海の波のリズム、
人の歩くリズム、身体の中に脈打つリズム....等、ありとあらゆるところに隠れているものを感じ取る『感性』を磨くには、むしろ楽器の練習だけでは得られないものだと思います。
ドビュッシーは、自然界こそが音楽のお手本だと解釈しておりました。
私も、音楽の最も根源的なものの正体は、音符でも休符でもなく、自然界に波打つリズムだと思っています。
そして、それに触れる事によって、感性を磨いていくうちに、今まで未知だった音楽の世界の片鱗にも触れられるようになっていくものだと思います♪
なので、本物の音楽には、『作曲者』も『鑑賞者』も存在しないもので、
それは本物の音楽に触れるための一つのアプローチである…。と解釈する事が大事なのだと思います。
「みんなで一緒に生活する中に生活する中に、自然と湧いてくる音楽。」これが究極であると言えそうです。
だから正しい流れの中にさらされた作曲家には、自然と音楽が湧いてくるシステムになっているのかも知れません。
:
ある話で、
『妻が妊娠し、気を遣うようになった。すると、この街には意外と妊婦が多い事に気がついた。』
という話があります。
人間は、自分にとって重要でない情報・関連性の薄い情報を、脳で判断し、カットしてしまう傾向にあります。
なので、その時に興味のないものは見えないし、聴こえてこないものなのです...。
なので例えば、オトナになり仕事するようになって、『父ちゃん、いつもこんな大変な事をしながら、子供のために贅沢を我慢していたんだな~。』と気付いて、
と〜ちゃんに対する見る目も変わっていき...。
これが新しい体験をする事によって視点が変わる原理だったりします。
音楽の聴き方にはいろんな種類があったりします!
近くで聴く、離れて聴く、もっと離れて聴く.....^^;;
とおちゃん、かあちゃんの立場で聴く....とか...。
離れて聴けば聴くほど、それは『広い空間』を使って音楽を聴く事が出来ます。
正直、私は、ベートーベンの交響曲がちゃんと分かるのか、といわれると.......分かりません^^;;
おそらく、私の『観る事の出来る範囲』よりもずっと広い空間を使って組み立てられているのです。
だからこの感動が、一体どこから湧いてくるのか、全く理解出来ないのです--;
おそらく本人ですら完全には理解出来ないハズです。
だけど(モーツァルトもそうですが)、「神の言葉の通訳者」といえる程の感性を持っている事は確かだと思います。
その神の言葉はどこから来るのかと言うと....
上で挙げた、自然界のリズムの事になります。
そして、感性で感じ取ったそれを、「音」に変換するには、『音楽の言語』を出来るだけ沢山知っていなければならず、そのために様々な種類の音楽を聴いたり、真似したり、理論を習得する必要があるのだと思います。
生まれた子供が言語を習得するには、まず親の真似からはじめますが、生まれながらにして、最も効率のいい学習法を知っているという、『子供の天才性』を思い出すには、
やはり自然に触れるのが一番だなと感じます。
yuki2013-09-17 10:30:59 +0900
(....続き)
自然に触れるのが脳に善いというのは、科学的な実験でも言われていますね。
あとはモーツァルトとか。
.....あとは.....将棋; ∀ ; )/
(桂馬はなぜあんなに中途半端な飛び方をするのか、謎だったのですが、飛車角さんのコメント観て、ようやく理解出来ました!そう言う意味があったのですね!)
長々と大変失礼しましたm(__)m
yuki2013-09-17 10:39:21 +0900
すみません。
↑上の文の「近くで、離れて、もっと離れて...聴く。」というのは、
距離の話ではなく、
『離れた立体的な次元で...』というイメージの事です。
紛らわしく、すみませんm(__)m
【まる☆ぼろ】2013-09-17 17:51:51 +0900
僕はアニメにハマリ美少女フィギュアを買うようになった。すると、この街に以外とヲタクが多い事に気付いた。
hishaism2013-09-17 21:33:06 +0900
>>Raison-d'être Analogiqueさん
作り手、弾き手、聴き手、その通りだと思います。
自分の感性に素直に・・・という思い、これは聴き手だけではなく作り手や弾き手にも言えることですね。
そして、未知の音楽と遭遇したときのことを考えてみると、それを「不可解」と感じるか「刺激」と感じるかを分けるものとは何なのかということを不思議に思います。
作る人にとっては、ほんとうに自分のためにつくれば受け入れられず、受け入れられるためにつくれば自分の音楽ができず・・・職業音楽家の人たちは大変ですね(^^;
hishaism2013-09-17 22:20:16 +0900
>>だいくん
ぶつぶつと考えごとをつぶやくのが好きなのです(笑)
それにしても、だいくんも同じことを悩んだことがあったとは!誰もが通る道なのでしょうか、少しほっとしました。
だいくんのアドバイスは、あれこれ考えてしまう僕の頭をすっきりさせてくれるような、とてもすかっとするものです。
さっそく、適当にプラプラします!でも、マンネリが素晴らしいとはどういう・・・聴くのが楽しみです(笑
>>王で攻める!!
それはたぶん、捨て身の突撃ですね(笑)
ちまさる2013-09-18 19:17:25 +0900
剛力彩芽の良い所を、皆が同じ様に感じなくても良いんです。あの女好きになれないで良いんです。
音楽も、みんなが良いって言うから自分も聴かなきゃ行けない物でもありません。
ただ、話を合わせるため、カラオケで付き合う為に、流行歌を覚えておくと、便利と言うだけです。
ま、流行歌はたいがい当り障りのない、(どうでも)良い曲なので、一般常識として覚えておきましょう。
自分が好きならば、誰もが変な曲と言っても、意味が分からなくても、もしくは音楽じゃなくても、問題はありませんし、意味は求める物ではなく、自分が勝手に当てはめる物です。
たおとえば、東京音頭が女に振られた時に流れていたから、東京音頭を聴くとその時を思い出して涙が止まらない悲しい曲でも良いのです。
聴く方の勝手で、作った人には権限はありませんし、たいがいは作ってる側は何も考えていません。たいがいはかっこ良さそうな理由を、後付けしてるだけです。計算式じゃないので、答えは人の数だけあるのです。
愛してるの単語も、人の数だけ違う種類があるように・・・
って、カッコいい歌詞の様になったなw
hishaism2013-09-21 22:56:55 +0900
>>yukiさん
生活と音楽の結びついた民族のお話、音楽ってこうやって始まったのかなと思いますね!
たしかに、弾き手や聴き手という区分けは正確ではないんですよね。だって現実の人間は、作り手であり、弾き手であり、聴き手でもあるのですから。
感性の鍛錬、自然との結びつきで音楽を見つめることで未知の音楽、新しい世界に踏み出すという方法もあるということなのですね(間違っていたらごめんなさい><)。
「興味のないものは聴こえてこない」というのもその通りだと思います。感性を音に変換するにはいろいろな音楽を聴くことが欠かせないのですが、子どもの好奇心と、なにか修得する能力は本当に目覚ましいですよね。
「様々な種類の音楽を聴いたり、真似したり、理論を習得する必要がある」というお答えも同感です。正直なところ、ぼくにとっては「感性が全てだ」というだけではすこし不満足な答えで、そういうものとは別に、努力の部分、経験や学習というものも、自然や自然の音楽と触れることと同じくらい欠かせないなと感じました。
hishaism2013-09-21 23:00:37 +0900
>>まる☆ぼろさん
まさに、yukiさんが書いて下さった「妻が妊娠し、気を遣うようになった。すると、この街には意外と妊婦が多い事に気がついた。」の例ですね!
ぼくも「琴浦さん」などをみてとても面白いと思ったんですけど、そういう世界に飛び込んでみると、現実にもそういうものが確実に根付いているんだなあと思ったりします。
それでもって「世界は広く、深いのだな!」なんて、ありきたりな答えに至るわけです(笑)
hishaism2013-09-21 23:26:27 +0900
>>ちまさるさん
剛力彩芽さん、なぜあんなに賛否両論が激しいのかと思ったりもしますが(笑)
意味は自分が当てはめるもの、聴き手や作り手、それぞれが思い描くものだということでしょうか。溢れる涙をこらえながら作った曲も、お遊びで適当に作った曲も、聴く人にとってはあまり違いがなかったりするわけですよね。悲しいことに、その通りだと思います。
思えば、たしかに、好きな音楽って音楽自体だけでなくて思い出とかも一緒なんですよね。
「たいがいはかっこ良さそうな理由を、後付けしてるだけです」、これは衝撃ですね。実は意味なんて無いという・・・。良い意味で、刺激に富んだご意見でした。
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yuki2013-09-16 14:38:59 +0900