豊島調停20年 教訓は生かされるのか

2020年6月27日 08時06分
 膨大な産業廃棄物が不法投棄され「ごみの島」と呼ばれた豊島(てしま)。撤去を命じた公害調停の成立以来二十年、美術館が点在する「アートの島」に生まれ変わった。だが「豊島事件」は終わっていない。
 豊島−。小豆島の一部と同じ香川県土庄町(とのしょうちょう)、瀬戸内に浮かぶ周囲約二十キロ、今は人口八百人足らずのこの島が、史上最悪と言われる産廃不法投棄の舞台になった。
 一九七〇年代の後半から西端の海岸近くに、当時約五十万トンとされたシュレッダーダスト(自動車破砕ごみ)などが島外から不法に運び込まれ、捨てられた。
 持ち込んだ業者は、産廃のかさを減らそうと廃油をかけて野焼きをし、島では、ぜんそくなどの健康被害を訴える人が相次いだ。
 香川県は長年にわたって業者の行為を放置した。不法投棄は九〇年に兵庫県警が業者を摘発するまで、止まらなかった。
 島民は九三年、産廃処理を許可(汚泥処理に限定)した県と業者を相手取り、国による公害調停を申請した。調停は二〇〇〇年に成立し、県は謝罪の上、産廃を全量撤去する義務を課された。
 一七年三月、県は撤去作業の「完了」を宣言した。島外に運び出され、無害化処理された産廃は、九十万トンを超えていた。
 しかし、その後も産廃は見つかっている。地下水からは基準値を大幅に上回る有害物質が検出され、浄化作業が続いている。
 総事業費は八百億円を超えた。
 初めて豊島を訪れた時、真っ黒な浸出水が遮水壁をくぐり抜け、対岸の岡山県側に向かって大蛇のように延びていたのを思い出す。
 調停成立から二十年。「豊島事件」は終わっていない。
 不法投棄された「ごみ」の多くが自動車破砕ごみだった。私たちは自動車を持っている。だが、いらなくなった自動車を「捨てる」という意識はない。買い替えたり「廃車」にしたりするだけだ。行く末を気にすることはない。目の前から姿を消した廃車が、例えば瀬戸内の小さな島に現れ、人々を苦しめ続けることがある、「焼いても埋めても、ごみは消えてはなくならない」−。豊島事件の教訓だ。ならば、出さないようにするしかない。
 行き場のない使用済み核燃料、被災地に山積みされた除染ごみ、マイクロプラスチックとなって海を浮遊するレジ袋…。
 私たちは、豊島事件に学ぶことができただろうか。

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