笑いの天下を取っていたビートたけしさん…どこか破滅的で人にこびず
放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(41)
TBSの名物プロデューサーだった桂邦彦さんにとって、唯一と言ってもいいぐらいのヒット作「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(1986~89年)。私はメイン構成作家の一人として参加し、ビートたけしさんと初めて一緒に仕事をしました。
番組が始まって軌道に乗ると、撮影現場の緑山スタジオに集まる機会は減りましたが、大勢の素人が屋外でドタバタ走り回る前例のない番組です。事故がないように、スタート前の会議は入念に行われました。TBSの会議室だけでなく、ソファのある貴賓室のような部屋も使って。
作家たちはアイデアを持ち寄り、番組をより面白くしようと知恵を絞りました。ゲームのネーミングにも頭をひねり、提案された意見をたけしさんが否定することはほとんどありませんでしたね。
ちなみに、素人の参加者を激励する谷隊長(谷隼人)のセリフ「よく集まったわが精鋭たちよ…」や、番組の最後に流れた「ありがとう戦士たちよ…」のナレーションは、私ともう一人の作家が隔週交代で書いていました。同じ頃の「ドリフ大爆笑」と違って「たけし城」は重圧がなく、仕事で抱えているストレスを別の仕事で発散させるすべを学びましたね。
「たけし城」の後継番組で、たけしさんがメインで出演する「北野テレビ」でも一緒でした。その頃、笑いの世界で天下を取っていたたけしさんは超多忙。話す機会は少なかったですが、どこかアナーキーというか、破滅的な感じでした。
画面では明るく楽しいイメージですが、厭世(えんせい)的で、人にこびず、バカなことをやっても浮つかない。芸で受けようが受けまいが、別にいい。どこか冷めていた感じ。映画監督としても成功したたけしさんは、そんな方でした。
渥美清、谷幹一、東八郎、萩本欽一ら、戦後多くの芸人を輩出した東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」出身の最後の芸人と言っていいでしょう。後輩のたけし軍団の面倒を見る一方で、先輩たちへの敬意も感じられました。
たけしさんは落語が好きで、自身がNHK大河ドラマ「いだてん」で演じている古今亭志ん生のファン。私も志ん生が好きで「昭和の大名人」の風情、話芸にひかれます。息子さんも噺(はなし)家で、一緒に番組を作る機会がありました。初対面はJR博多駅。「20世紀最後の名人」と称された方です。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
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海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年08月03日時点のものです