思わずヒヤリ…160センチのやすしさん、223センチのレスラーに絡む

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(55)

 週1回深夜に放送されたTBSのトーク番組「やすしの度胸一発」(1985年4~9月)の構成作家を務めましたが、横山やすしさんの暴走に毎回ハラハラさせられました。

 酔っぱらって暴言を吐くやすしさん。それを嫌がる視聴者も多かったと思いますが、破天荒なやすしさんを面白がる方もいたでしょう。現在なら放送事故。「地雷」がたくさんある番組を生放送していた当時のテレビ局は、腹が据わってました。限界はありましたが。

 前回話しましたように、オンエア後は出演者とスタッフが深夜の鉄板焼き店で食事。私は、べろんべろんに酔ったやすしさんをホテルに送っていました。ホテルに着くと、閉店したラウンジを開けろと騒ぎだし、ここでも大暴れ。それを引き止め、身長160センチ、体重50キロの小さな体を担いで部屋に連れていきました。

 ある夜、こんなことがありました。ホテルのロビーでエレベーターを待っていました。扉が開くと大きな影が。出てきたのはアンドレ・ザ・ジャイアント。身長223センチ、体重230キロのプロレスラー。「人間山脈」「一人民族大移動」とプロレス実況の古舘伊知郎が叫んでいた、あの大巨人です。

 酩酊(めいてい)していたやすしさんは目を合わせるなり「なんやわれー、どかんかい」と怒鳴りだしました。危険を察知した私は抱きかかえるようにして、ほかの場所に連れていきました。それでも暴れる小さなやすしさんを見ながら、人間山脈がにこりと笑っていたのが印象的でしたね。

 番組は結局、半年で終わりました。やすしさんはその後もトラブルが続き、吉本興業に解雇されます。解雇通告したのは木村政雄さん。「やすきよ」のマネジャーを務め、2人の東京進出を成功させた木村さんにです。盟友に通告されたやすしさんは、さぞつらかったでしょうし、やすしさんを「自らの原点」と語っていた木村さんも断腸の思いだったはずです。

 ボートや軽飛行機を愛したやすしさんは深酒がたたったのでしょう。96年に肝硬変で亡くなりました。51歳の若さでした。天才の悲しい晩年でした。

 やすしさんとの付き合いはそんな感じでしたが、つっこみ役の相方西川きよしさんから漫才でやり込められたときに、ふと見せる笑顔が忘れられません。いたずらが見つかった子どものように「えへっ」て感じ。実にチャーミングでした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月21日時点のものです

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