マンネリ打破へアイデア出すも…吉本新喜劇で味わったアウェー感

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(58)

 大阪の笑いの聖地、吉本新喜劇の台本を書くことになった私。大阪の作家とともに月に1度の公演を担当しました。新喜劇は同じ物語が1週間連続して行われます。火曜に始まって月曜が楽日。週末は毎日放送(MBS)の中継が入ります。

 ということは、1カ月のうち1週間、私の作品が舞台で演じられるわけです。まず月曜にリハーサル。演出もしていたので、セットの内容や演者の衣装も指定する立場です。およそ45分間の新喜劇。演者たちが台本を読んだ後、前の回の楽日を終えた舞台で立ち稽古です。ほとんど深夜まで。

 テレビ用の原稿用紙で40枚程度でしょうか。その中にはチャーリー浜さんのお決まりのセリフ「…じゃあーりませんか」「ごめんくさい」、島木譲二さんが上半身裸になって両手で胸をたたく「大阪名物パチパチパンチ」や「ごめりんこ」を入れなければなりません。その場面は、あえて台本に空欄を作って2人に任せました。

 ベタな大阪のお笑いに彼らのギャグは必須です。それを求めるお客さんが大勢います。一方で新喜劇はマンネリが続き、客が減っていたのも確かで、それまでとは違う笑いも求められていました。打開策として、吉本興業の要職にいた木村政雄さんはベテランの座長に次々と降りてもらって、内場勝則や石田靖らを30代で座長に起用しました。

 月に1回、大阪にやって来る東京の放送作家が台本を担当することをいぶかしく思う演者もいました。ある役が十八番(おはこ)の演者に違う役を求めたところ拒否され、口論になったことも何度かあります。「ちょっと空気を入れ替えましょうか。休息しましょ」とたまらずベテラン役者が間に入ってくれましたね。演じるのが一つだけでは芸の幅が広がりません。それがマンネリ、「井の中の芸人」です。

 こちらの考えに従わない演者もいて、アウェーの雰囲気も味わいました。新喜劇独特のお決まりの笑いを大事にしながら新たな笑いを加味する。それを、東京の放送作家である私に木村さんは求めていたと思います。大変でしたが、やりがいがありました。「ミスター吉本」と称された男の期待に応えたい。そこで考えたのが今までの新喜劇になかった配役。

 これに反対したもんがぎょーさんおったけど、やらなあかん。マンネリ打破や。さあて、おもろいことになったんかいな。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月24日時点のものです

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