15歳年上の落語名人と「ライカ」で意気投合…胸もおなかもいっぱいに

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(43)

 「20世紀最後の名人」と評された古今亭志ん朝さんとの初対面は、1994年2月。ロケ先の湯布院に向かうJR博多駅ホームでした。山口瞳さんのエッセー「行きつけの店」を映像化する春の特番「山口瞳の行きつけの店」(テレビ東京)は私が構成を担当し、志ん朝さんは出演と併せてナレーターも務めました。

 キャメル色のダウンにバーバリーのマフラー、サファリハットをかぶった英国紳士のようないでたちの志ん朝さん。私が肩に下げていたドイツ製のカメラ、ライカに興味を示しました。志ん朝さんも私と同じ機種の「ライカM3」を愛用していて、それを持ってきていたのです。

 拙書「佐世保に始まった奇蹟(きせき)の落語会」(牧野出版)にも書きましたが、初対面にもかかわらず、話が盛り上がる盛り上がる。巻き上げは?

 露出計は? 買った店は? フィルムはモノクロ、カラー? そのときの志ん朝さんは、自分と同じ大事なおもちゃを持つ仲間を見つけた子どものような表情でした。

 志ん朝さんと私たちスタッフは特急「ゆふいんの森」で出発。ライカのおかげもあって当時50代半ばの名人は15歳も下の私に気さくに話をしてくださいました。車両1両を貸し切って別府に立ち寄り、菓子店「不老軒本舗」の石垣餅、かるかんを食べ、山口さんが桃源郷と称した湯布院の老舗旅館「亀の井別荘」でも話が弾みました。

 当時、亀の井別荘は1万坪の敷地にわずか12室。「行きつけの店」で、山口さんは定宿を「その一室に泊まると自分の家に帰ったようによく眠れる宿」と表現しましたが、亀の井別荘はまさにそう。志ん朝さんも満喫していました。温泉の撮影では志ん朝さんから少し離れた所で、これまた湯に漬かる後ろ姿の山口さんを登場させ、コントのようなシーンも作りました。

 夕食は志ん朝さんと山口さん、山口さんの奥さん、息子さんが食卓を囲みました。オーナーの中谷健太郎さん(現相談役)が考案された温泉熱を利用したボイルドビーフやカモ肉、山菜の天ぷらを賞味しながら、志ん朝さんと山口さんの身の上話に花が咲きました。

 当代一の噺家(はなしか)と、愛読した私小説「血族」や「居酒屋兆治」などの小説を編んだ山口さんと同じ空間に私はいる。至極の料理もすてきでしたが、2人の存在は格別。それだけで私は胸いっぱい、おなかいっぱい。ごちそうさまでした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月06日時点のものです

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR

注目のテーマ