この記事では、日本のドキュメントバラエティーの系譜、もくしはリアリティー番組の先駆といえるものに焦点を当てている。日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、リアリティショー番組の手法として先鞭(せんべん)をつけた。TBS系『ウンナンのホントコ!』内で人気を集めた「未来日記」シリーズ、あるいはフジテレビ系『あいのり』のように、主として一般人を起用したドキュメントバラエティーも人気を博した。
これらの番組は、テレビが「やらせ」なのは当たり前だと考え、過剰な演出や不自然な演技を含めて楽しむ冷めた視聴態度を育んでいった反面、ネット上の電子掲示板などでは、テレビなんて「やらせ」だから嫌いと全面的に敵視する見方も目立つようになる。
ネットの普及に伴い、テレビに対する敵意が可視化されたことに加えて、番組に出演した一般人に加え、ロケの協力者や目撃者などによって制作の手の内がバラされやすくなったことも無視できない。
その結果、2000年代以降からバラエティー番組の中で一般人が大きな役割を担う機会は格段に減っていき、ドキュメントバラエティーもお笑い芸人を中心にキャスティングされるようになった。ドキュメンタリーとバラエティーは、芸人たちの「コミュニケーション能力」や「空気を読む力」に支えられ、より自然で安全な形で結びつくようになったわけである。
皮肉なことだが、芸人たちの空気を読む力やソツのなさが卓越しているからこそ、いつしかそれに制作者が甘えてしまい、演出という行為にはらむ危うさに対して、感性が鈍ってしまったのではないか。
バラエティー番組の演出については長年、やらせとの境界が問われてきたにもかかわらず、『イッテQ!』の場合、そうした試行錯誤の先例を踏まえることなく、芸人の器用さをあてにして危ない橋を渡ってしまったのかもしれない。
そして『テラスハウス』においても、ヒール(悪役)レスラーを本職としていた出演者に対して、同じような甘えがあったのではないかと思う。亡くなった出演者は生来の努力家で、礼儀も優しさも兼ね備えていたといった人物評も聞こえてくる。
芸人と同じように、コミュニケーション能力や空気を読む力に長け、レスラーとしてのプロ意識や向上心を備えていなければヒールを演じ切ることはできないだろう。番組の中で期待された役割を果たすため、あまりにも見事にヒールを演じすぎてしまったという見方は恐らく正しい。
だからといって、出演者としてのパフォーマンスを高く評価しても、番組制作上の構造的な課題を不問に付すことがあってはならない。特にリアリティー番組の場合、視聴者の腹立たしい感情が、制作者ではなく出演者に直接向かい、SNSでの誹謗中傷につながりやすいことは海外での先例からも明らかだった。
繰り返しになるが、これはリアリティー番組だけの問題ではない。残念ながら、現状ではSNS上で暴走する悪意に歯止めが利かない。だからこそ、その標的になるリスクから出演者や取材対象者を守るための安全配慮義務を、全ての制作者が覚悟を持って引き受ける必要があるのである。