番組制作者にとってはテレビカメラに収録されている映像こそが「図」であり、出演者のSNSは「地」の一部にすぎない。制作者にはその両者の境界が明確だが、出演者や視聴者にとっては必ずしもそうではない。出演者のSNSを目にするのは番組の視聴者ばかりではなく、まとめサイトやネットニュースがきっかけということもある。向かい合った二つの顔にも見えるし壺にも見える「ルビンの壺(つぼ)」という心理学の実験に使われる図形があるが、まさにルビンの壺のように「図」と「地」の関係は容易に反転するし、その境界は極めて曖昧なのだ。
近年、テレビ番組とSNSの間で共振する新しいリアリティーを制作者は意識的に利用してきた反面、洗剤や漂白剤に見られる注意書きではないが、「まぜるな危険!」とでもいうべき弊害について想像力を欠いていたのは明らかである。
例えば、18年の12月末にTBS系バラエティー『水曜日のダウンタウン』の番組中で放送された『テラスハウス』のパロディー企画において、あるお笑い芸人が遊園地に「収監」されるという場面が生中継されたときのことだ。番組が視聴者に深夜の来園を促したところ、警察が出動するほどの大騒動に発展した。
これが20世紀の出来事であれば、テレビの影響力の大きさを後世に伝える逸話になったかもしれないが、もちろんそういうわけではない。遊園地に押し寄せた群衆は、番組の視聴者とは限らなかったからだ。この騒動の要因として、SNSなどで情報が拡散した結果、期せずして大きな混乱が生じたのである。
さらに、SNSと共犯関係を結ぶのはリアリティー番組ばかりではない。昨今「有名税」という言葉が広く用いられているが、SNSが普及した現在では、この言葉は問題の本質をくらませてしまう恐れがある。というのも、SNSでの誹謗中傷が集中するのは有名人ばかりとは限らず、そこにテレビが一役買うことで一般人にも火の粉が降りかかることも珍しくないからだ。
例えば、ツイッターでは10年代に外食チェーンやコンビニなどの従業員による不適切な投稿が相次ぎ、たびたび社会問題化した。特に19年の2〜3月にかけては、ネットの炎上現象として、インスタグラムや動画配信アプリ「ティックトック」などに相次いで投稿された不適切動画を、テレビの情報番組が集中的に取り上げた。
食品衛生や交通法規などに関わる不祥事は多くの視聴者が関心を寄せることもあり、テレビで扱われやすい。とはいえ、問題の動画自体を繰り返し放送していることからして、「人々の関心に応える」というよりも「不快感や嫌悪感をやみくもに誘引している」と表現するのが正確かもしれない。
ネット炎上に関する調査によれば、炎上はネットの中だけで完結している現象ではないことがはっきりと裏付けられている。たとえ火種はSNSの投稿であっても、新聞やテレビが報道することによって、深刻な大炎上をもたらし、社会問題として広く認知されるようになる。
そしてマスメディアで報道されたという事実がネットニュースを介してSNSに還流し、さらに再燃していく。まさしく「火に油を注ぐ」という例えが最適だろう。SNSでの動画投稿が隆盛している近年、テレビとの共振作用はますます大きくなっている。具体的な内容については、私の別の論考を参照されたい。
『テラスハウス』の出演者に対する目配りがなぜ行き届かなかったのか。もう一つ、別の課題を指摘しておこう。
18年11月、日本テレビ系『世界の果てまでイッテQ!』が存在しない祭りをたびたびでっち上げていたとして、やらせ疑惑が持ち上がった。このとき私がiRONNAに寄稿した論考の要点を、繰り返しになるが改めて述べておきたい。