“監視のマスターキー”マイナンバーの口座ひも付けに潜むリスク 絶えず監視される未来も
AERA dot.2020年06月23日08時00分
マイナンバーカードと口座のひも付けを義務化しようとする政府。マイナンバー漏洩の可能性などを考えれば、国民に大きなリスクを負わせる施策だ。しかしこの件のように、国民にとって重大な法案を火事場泥棒的に通すのは、日本政府がよく使う手だ。AERA 2020年6月29日号では、安倍政権が押し通す法案に潜むリスクに迫った。
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日本政府は火事場泥棒の常習犯だ。コロナ禍のドサクサでも、例の検察庁法改正案や種苗法改正案こそ見送られたが、年金支給年齢の引き上げを可能にする年金改革関連法制や、後述する「スーパーシティ」構想に道を開く改正国家戦略特区法など、国論を二分して当然の重要法案を、簡単に可決・成立させた。
マイナンバーも火事場泥棒の産物だった。第1次安倍晋三内閣下の07年に「消えた年金」問題が発覚。その解決を掲げた民主党が政権を奪取して「社会保障と税の一体改革」を打ち出し、マイナンバーが不可欠だと導入の旗を振った(消費税増税については割愛)。やがて安倍氏が政権に返り咲いて法制化を果たす。彼は社会保障の充実を謳いつつ、逆に縮小していく社会保障制度改革推進法などの法整備を進めていった──。
「マイナンバー制度を活用し、国民にITの利便を実感していただくことが必要であります」
IT総合戦略本部の会合で安倍首相がそう叫び、身分証明書やカード類の機能をマイナンバーカードに一元化する「ワンカード化」への期待などを力説したのは、14年6月のことである。この前年の、マイナンバー法が成立した頃には、産官学の交流組織「日本アカデメイア」で、こんなスピーチもしていた。今や世界は膨大なデータに溢れているとして、
「GPSで取った移動情報、ネット取引の情報など。付加価値の高い新たなサービスやビジネスを生み出し得る『宝の山』です。しかし、(わが国では)プライバシーか、データ利用か、という二項対立が続き、宝の山は打ち捨てられていました。これにもメスを入れます」
以来、マイナンバー制度はこのシナリオに沿って育てられてきた。マイナンバーを中核に、行政手続きを原則全てデジタル化していく「デジタル手続法」も昨年末に施行された。
マイナンバーのモデルはIT先進国・北欧エストニアの番号制度だという。大臣や議員団、IT企業のトップらが、幾度も視察に出向いた。15年3月13日配信の「ダイヤモンド・オンライン」が、当時の同国CIO(最高情報責任者)のターヴィ・コトカ氏の談話を載せている。
<「エストニアでは、例えば私についてネット検索をすると、住所や給料も調べられます。ですが、これは“秘密”ではなく、透明性があるということに過ぎません」>
ならばモデルの国を見習い、我々も透明性を高めるぞと言った政財官界の指導者を、しかし、筆者は寡聞にして知らない。それどころか彼らは、公文書や統計の改ざんや偽装さえ常態化させている。マイナンバーをマスターキーに、GPSの位置情報や、キャッシュレス決済で記録される買い物履歴、SNSでの発言、これから街中に張り巡らされていく顔認証付き監視カメラ網のデータから、一般市民の一挙手一投足を見張り、解析して、「信用スコアリング」と称する人間の格付けまで進める方向性を否定しないままに。
これらは、いずれも中国や韓国で、すでに完全実用化されているものだ。新型コロナの感染拡大防止に役立ったと喧伝され、日本でも抵抗感が薄れつつある。政府の主導で19日に運用が始まった感染追跡アプリについても、これとよく似た、誰と誰が近づき、どれだけの時間を共に過ごしたかを解析するシステムが、一部企業で人事考課や労務管理に利用されている現実を承知しておくと理解しやすい。
監視システムはアルゴリズムの世界である。外部からは何もわからないブラックボックス。
前出の「スーパーシティ」構想とは、域内における決済の完全キャッシュレス化や、クルマの自動走行フル活用、遠隔教育、遠隔医療といった“丸ごと未来都市”の先取りだ。ビッグデータやAI(人工知能)を駆使する国策「ソサエティー5.0」の実装実験でもある。青写真を描いた有識者懇談会の座長は竹中平蔵・元総務相。国家戦略特区に選ばれた街の人々は、利便性と引き換えに、あらゆるツールで絶えず監視され、全言動をデータ化されることになる。
マイナンバーは憲法で保障されたプライバシー権を侵害するとして、男女20人が利用差し止めなどを国に求めた訴訟で、福岡地裁(立川毅裁判長)は15日、請求を棄却した。全国8地裁で提起された裁判は、これで6件連続で原告側の敗訴となった。
「一人の人間としての裁判官の苦悩みたいなものがまるでない、国の言い分をそのまま是認しただけの判決でした。ある意味“美しい”とも言えますが、司法ってそんなものじゃないでしょう。かつての住基ネット訴訟の頃にはまだしもあったメディアの批判が、すっかり影を潜めてしまっているのも大きいですね。ええ、もちろん控訴します」
原告側弁護団の武藤糾明(ただあき)弁護士(50)が語った。国家と巨大IT企業に支配され、操られるだけの人生を、「ソサエティー5.0」のキャッチフレーズである「人間中心の社会」と呼ばされるのは御免だ。(ジャーナリスト・斎藤貴男)
※AERA 2020年6月29日号より抜粋