遺体散らばる戦場をさまよい…沖縄戦の教訓は平和 83歳女性が初の証言
2020年6月24日 14時00分
◆「もう残せないかも」切実な思い
金城節子さん(83)=沖縄県糸満市=は戦後、自身の戦争体験を公の場で語ってこなかった。県遺族連合会と日本遺族会が主催する「平和祈願慰霊大行進」には毎年、参加した。しかし昨年、途中で体調を崩して歩くのを中断するなど自身の体力の衰えを感じた。「今語らなければ、もう残せないかもしれない」。切実な思いがあり、自らの体験を語る決意をした。
◆「人の心を鬼にする」
沖縄戦で親戚や弟2人の死を目の当たりにし、はぐれた母や祖母を捜し、戦場を一人でさまよった。逃げる途中、至る所に散らばる遺体を目にした。「シュー」。気付かず、膨れあがった遺体を踏むと音がした。内臓がえぐれた日本兵の遺体が転がり、死んだ母親に寄り添って泣く子どもを目にしても、何も感じなかった。金城さんは「戦争は人の心を鬼にする」と振り返る。
戦後は慰霊大行進を歩き、亡くなった家族を弔った。行進コースには金城さんが戦争中、家族と一緒に避難した行路が含まれる。当時は遺体であふれていた道は、今はきれいに整備された。家族が亡くなった場所の近くを通るたび「今年も会いに来たよ」と心の中で語り掛けた。
◆感謝の気持ちから体験を語る
自らの戦争体験を残したいと願う金城さんの気持ちを受け止めてくれたのは、またいとこの新垣康博さん(69)で、昨年11月から聞き取りを始めた。金城さんは「自分が死んだら終わりで、もう残せないと思っていた」と感謝する。
体験を残したいと考えるのはもうひとつ理由がある。金城さんは沖縄戦の直後、旧具志川村前原の収容所に移され、孤児扱いとなったが、母方の祖母の姉・カメさんが収容所に迎えに来てくれた。カメさんの一家に引き取られ、カメさんの娘の玉子さんにも、よくしてもらったという。自らの体験を残し、感謝の気持ちを表したいと考える。
◆戦後生まれの世代に感じる危機感
沖縄戦から75年が経過した。戦後生まれの世代は、戦争の恐ろしさを真に受けていないのではないかと感じる。「戦争の苦しみは体験した人じゃないと分からない。戦争の教訓は平和だ。誰がなんといっても平和が大事なんです」。金城さんは力強く語った。 (琉球新報・中村万里子)
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