さて2014年に公表された『昭和天皇実録』(『実録』)は宮内庁が四半世紀の時間と2億円の国費(人件費を除く)を費やして編纂した、昭和天皇の一代記であり国家の正史だ。
全61巻、1万2000ページという膨大な量でありながら、「驚くべき事に」と言うべきか、「やはり」と言うべきか、『実録』には昭和史における極めて重要な事項で、書かれていないことがある。
大日本帝国の「終戦構想」もその一つだ。それがまとまった日、1941年11月15日の(『実録』)をみると、昭和天皇は皇后とともに朝、葉山御用邸を出て皇居に戻った。
午後1時過ぎから、陸海軍の首脳が陪席する中、「戦争初頭を想定したマレー・香港・ビルマ・蘭印・フィリピンを中心とする南方作戦の指導とその推移に関する兵棋演習を御覧になる」。陸軍の杉山元参謀総長に「支那軍の北部仏印への動き」や、海軍の永野修身軍令部総長に「陸軍輸送船団の護衛問題」などについてそれぞれ聞いた。
夕方には杉山から「外交が成立すれば戦闘行為を止め、大命に従って軍隊を退けること」などの説明を受けた。
この部分の記述の典拠の一つに、『実録』は『戦史叢書』を挙げている。しかしその『戦史叢書』が挙げている終戦構想については、まったく触れていないまま記述が進む。
「御夕餐後、皇后と共に映画『君と僕』、文化映画『塩都運城』を御覧になる」
昭和天皇がどんな映画を見たのか。それは昭和天皇研究の上で重要なのだろうが、筆者としてはもっと知りたいのは、国民の運命を左右する戦争をどう終わらせるかという構想を、天皇が聞いていたのかどうか、聞いたとしたらどう感じたのか、ということだ。しかし筆者のみた限り、『実録』からはそれが分からない。