これは何かの冗談ですか?日本人が知らない「大日本帝国の終戦構想」

司馬遼太郎の重要な指摘をご存知か
栗原 俊雄 プロフィール

歴史に「もしも」は禁物とされるが…

日米交渉は進まないまま10月上旬を迎え、戦雲がたちこめてきた。同月14日、陸軍の中で対米戦回避を模索していた武藤章軍務局長が富田健治のもとを訪れた。富田は第2次、第3次近衛内閣で内閣書記官長を務めた人物。内閣の要であり、陸海軍と内閣の連絡、調整も行う役目だった。

富田は1962年、近衛内閣の内幕をつづった『敗戦日本の内側 近衛公の思い出』を著している。現在は入手困難だが、2019年秋に刊行された『近衛文麿と日米開戦 内閣書記官長が残した『敗戦日本の内側』』(川田稔編・祥伝社新書)で内容を確認できる。

 

富田によれば、武藤は以下のことを言った。

「海軍が本当に戦争を欲しないなら、陸軍も考えねばならぬ。ところが海軍は、陸軍に向かって表面はそういうことは口にしないで、ただ総理一任だと言う。総理の裁断ということだけでは、陸軍内部を抑えることは到底できない。しかし海軍が、この際は戦争を欲しないと公式に陸軍に言ってくれば、若い連中も抑えやすい。海軍がそういうふうに言ってくれるように仕向けてもらえないか」

富田は武藤の依頼を海軍の岡敬純軍務局長に伝える。岡は「海軍としては、戦争を欲しないなどと正式には言えない。首相の裁断に一任と言うのが精一杯」と述べた。

ゲタを預けられそうになった近衛は10月16日、内閣総辞職を選んだ。天皇が次の組閣を命じたのが東条英機陸軍大将である。

内大臣の木戸幸一が好戦的だった東条を首相に推挙したところ、昭和天皇が「虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね」と言ったことはよく知られている(『木戸日記』)。

東条に、陸軍の主戦派を押さえて戦争を回避させたい。そういう狙いだった。しかしその東条も対米戦に前のめりとなる陸軍を抑えることはできなかった。

陸軍から開戦の是非を事実上ゆだねられた海軍が、「アメリカとの戦争はすべきではないと考える」と言っていたら。近衛が「海軍に判断を任されたから自分が裁断する(明治憲法の制度上極めて異例だが)。アメリカとの戦争は避ける。それを前提に今後の国策を決める」と決めていたら。日本の現代史は大きく変わっていただろう。

歴史に「もしも」は禁物とされるが、筆者はケースバイケースだと思う。「もしも」は為政者たちの判断ミスや不作為をあぶりだす、有益な思考実験にもなり得るからだ。

ただ海軍だけの責任ではない。中国からの撤兵を頑として拒んだ陸軍にも巨大な責任があるし、軍部を制御できなかった政治家にもある。適切なシビリアンコントロールができなくなるような、明治憲法体制の構造的問題でもあった。