9月6日、昭和天皇が臨席する御前会議で、「帝国国策遂行要領」が決定された。外交交渉がまとまらない場合、「10月上旬ごろに至っても要求が貫徹できない場合は、ただちに対米英蘭開戦を決意する」ものだ。
戦中派世代の作家、五味川純平が「軍部に追従することだけに終わった近衛の政治歴のなかで、最も決定的な失敗」(『御前会議』)と断じた決定であった。
ただ、海軍にも慎重論は根強かった。日本と米英、ことにアメリカとは国力が大きな差があった。そのアメリカとの戦争となれば主戦場は太平洋であり、となれば海軍力が勝敗を大きく左右する。
当時は軍艦の保有量などでみると米英が世界1位と2位で、帝国は3位だった。イギリスはドイツとの戦争で相応の戦力を割かなければならないが、アメリカはさほどでもない。帝国海軍の物量的劣位は明らかだった。
陸軍はどうか。1937年に始まった中国との戦争が泥沼化し、大きな戦力を割いていた。米英との戦争となれば東南アジア、太平洋諸島が戦場となる。となれば典型的な二正面戦争となる。米英よりはるかに軍事力で劣る中国さえ屈服させられない日本が米英を屈服させることは不可能だった。
そのことは陸海軍とも分かっていた。ならば戦争ができるはずがない。しかし両方とも、そうは言えない事情があった。
アメリカとの交渉をまとめるためには、中国からの撤兵は避けられない。営々と中国侵略を進め、傀儡国家満州国を造るなど、多くの「成果」を得てきた陸軍としてはそれは避けたい。
一方で、代々の仮想敵国はソ連でありアメリカとの戦争は必ずしも望むものではない。できれば海軍から「戦争はできない」と言ってほしい。それが陸軍の思惑だった。
海軍もアメリカとの戦争とは避けたい。しかしそのアメリカを仮想敵国としてばく大な国費を費やしてきた手前、「アメリカと戦争はできません」とは到底言えなかった。
ある組織、たとえば陸軍や海軍の人間が自分の組織の利益を最優先するのは自然だ。それぞれの利益が矛盾した場合、当事者同士の交渉では解決しない。第三者が調整力、指導力を発揮して止揚しなければならない。しかし、大日本帝国ではそうはならなかった。