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これは何かの冗談ですか?日本人が知らない「大日本帝国の終戦構想」

司馬遼太郎の重要な指摘をご存知か

戦争をどう終わらせるつもりだったのか

今から79年前の1941年12月、大日本帝国はアメリカやイギリスと勝ち目のない戦争を始めた。

「勝ち目がないって、今だからそんなことを言えるんだろ」と、いう人がいるかもしれない。しかし当時も、軍人を含む少なからぬ為政者たちが、アメリカを屈服させることが不可能であることは分かっていた。

では、為政者たちはなぜ戦争を始めたのか。そしてどうやって戦争を終わらせるつもりだったのか。

今回は開戦までの経緯と、戦争終結構想をみていこう。戦争を終わらせるのは戦争を始めるよりはるかに難しいこと、国は、というより為政者たちは時にとんでもない間違いをするということが分かるはずだ。

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1930年代から40年代初頭にかけて、中国や南方への進出を進める日本に対し、アメリカは態度を硬化させていった。

決定的だったのが1941年7月の南部仏印進駐だ。アメリカは在米日本資産を凍結し、極めて重要な戦略物資である石油の対日輸出を全面禁止した。

当時、石油のほとんどはアメリカから輸入していたため、日本としては大きな痛手だった。石油がなければ多くの兵器が役立たずになる。兵士を戦地に送ることも難しくなるのだ。

 

当時の首相、近衛文麿は対米戦に慎重な海軍を支えとして陸軍の好戦派を押さえようとしていた。ところが燃料である石油を止められた海軍は、石油確保のためにさらなる南方進出を見据える。

近衛文麿首相は対米戦を回避すべく、乾坤一擲の策を講じる。ルーズベルト米大統領と頂上対談をし、中国撤兵を約束する。そしてすぐに昭和天皇の許可を得る、というものだ。ところが肝心のアメリカが乗ってこなかった。