螢源氏の言霊
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2020-05-26 15:30:50

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】作品集

テーマ:歴史

反逆のロックスター「ミカボシ」の謎

このシリーズは、日本神話で唯一の星の神にして、実在した古代人・アマツミカボシ(天津甕星)と、日本建国史の謎を究明することを使命とする!!


目次

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】①日本書紀に封殺された「悪神」の正体!!

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】②宿敵・タケハヅチの正体と忌部氏の最終兵器

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】③東国の覇者と常陸王朝の都・大甕の秘密

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】④大和出雲族の貴公子と中島連の伝説の祖

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】⑤尾張氏のふたつの起源とタカクラジの隠し子

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】⑥失われた皇位継承者と大和出雲族の期待の星

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】⑦追放された三皇子の別れと廃太子の擁立

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】⑧三国志に刻まれた邪馬台国の危機と東国平定

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】⑨堕天した「明けの明星」の君臨と救世の英雄

【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】総集編 〜日本建国の精神と世界天皇の予型〜






このシリーズを書き上げるまでに、私は異常なまでの労力を費やしてきたと思う。


しかも、日銭にもならないし、そんなに多くの人にも見られているということもないし、また「何になるのか?」と自分でも思う。



だが、努力をしたり頑張っているという感覚はまったくないのである。


むしろ、これをしないほうがよほど苦痛なのであり、このシリーズに生命と生活をかけることこそが私の幸福なのだ。



誰のため?といえば、自分のためであることが第一にあるが、大局的な大義を語るとすれば、それは日本人のため、人類のためである。


日本人が、日本建国史を知らなくて何になる?



日本は世界の縮図、雛形である。


日本人がアイデンティティを取り戻さずして、日本にも世界にも明日はないだろう。



今回は、その偏執なまでの熱意をもって創った私の「歴史究明」という名の、芸術の集大成を公開したいと思う。


前のシリーズである「日本建国史の大真実」の作品集は以下にある。



【日本建国史の大真実】番外編 〜其の壱〜

【日本建国史の大真実】番外編 〜其の弐〜


肖像画


私が描くのは、神話に登場する神々ではなく、古代に実在した歴史上の人物である。


それを体現するため、モデルに選ばれた人物の写真をトレースし、古代風のアレンジを加えたシャーペン画という手法をとっている。



ただのお絵かきではなく〝降霊〟として、私は今は亡き者たちを描いている。


そう、これはモデルの容貌という「依代よりしろ」に、古代人という「神霊」を下ろす神事なのだ。


アマツミカボシ(カガセオ)



(天津甕星、香香背男)



●モデル

hideヒデ(X JAPAN)




●選定理由

・イメージがぴったりだから。



●共通点

①活躍したのは短い期間でありながら、強烈な印象を残し、異彩を放った。

・ミカボシの常陸ひたち王朝:約2年間存在した。

・hideのソロ活動期間:5年間。


②特定の系譜の祖となった。

・ミカボシ:中島尾張氏(中島連なかしまのむらじ)の祖。

・hide:ヴィジュアル系の祖。





③独立した勢力を率い、開拓を進めたカリスマ指導者である。


・ミカボシ:常陸国などを開拓し、常陸王朝の王として独立国家を樹立した。

・hide:独自の音楽を開拓し、プロデューサーとしてレーベルを立ち上げた。


④強大な権威に反旗を翻した。

・ミカボシ:第二次連合に反逆。

・hide :既存の音楽業界に反逆。


⑤破天荒な印象に反し、聡明な人物である。



●備考

・前作と同モデル。


前作(2013年)



これまでの肖像画のなかで、もっとも破天荒なヴィジュアルである。


金髪に見えるが、夕陽に黒髪が照らされてそう見えるという設定である。



7年前、迷わずにモデルをhideに決め、今回は前回の肖像画のリメイクとして描いた。


額にあるビンディー以外ほぼhideで、おおよそ古代人らしくはないが、ミカボシという異色の存在を表現するにはちょうど良い。





まさに、反逆のロックスターの名にふさわしいhide。


実は、ミカボシの生涯を紐解いてゆくうえで、いくつかhideの人生の出来事を参考にした。



私の肖像画は降霊のようなものだと言ったが、死者はミカボシだけではなく、hideもだ。


なので、hideの楽曲を流したり、ライブ映像を観ながらイメージングしていた。


タケハヅチ(アメノハヅチオ)



(建葉槌命、天羽槌雄神、倭文神)



●モデル

櫻井敦司さくらいあつし(BUCK-TICK)




●選定理由

・魔王感があるから。



●共通点

①実名の母音が「A・U・I」である。

・ハヅチ:「HAZUCHI」。

・櫻井敦司:「ATSUSHI」。


②名前がぜる竹を連想させる。

・ハヅチ:「竹破槌」とも表記できる。

・櫻井敦司:所属するバンドは「BUCK-TICKバクチク」(爆竹)。



●備考

ミカボシ(hide)に対抗できるヴィジュアルと考えたところ、その条件に当てはまる人物は、櫻井敦司しかいなかった。


威圧感のある強面ではなく、美形だからこその凄みがある。





祭祀や呪術に精通したハヅチは、武力だけではなく、ある種の魔力をもって、ミカボシを倒す存在でなければならない。


それを顕現させたのが、ファンから「魔王」と呼ばれる、櫻井敦司の若き日の姿であった。



ヴィジュアル系のみならず、芸能人のなかでもトップクラスの端正さではなかろうか。


世代的に、最近になるまで櫻井敦司はおろか、BUCK-TICKすらも知らなかったが、昔の曲を聴けば、どことなく懐かしさを覚えた。


タケミカヅチ



(建御雷神、武甕槌神、鹿島大明神)



●モデル

・竹内力





●選定理由

・武闘派の猛将にふさわしいから。



●共通点

①名前が「タケ」から始まる。


②九州の人物である。

・タケミカヅチ:九州王朝の武将である。

・竹内力:九州出身(大分県)の人物である。


③名前からして強そう。



●備考

いかにもという感じだが、これもモデル選定にまったく迷いがなく、実はもう既に2年前から決めていた。


以前、顔面凶器の小沢仁志おざわひとしを、タケミカヅチの相方であるフツヌシのモデルとして描いたが、実際にこの2人はコンビのようなものである。





例え、そのままVシネマのノリで、フツヌシとタケミカヅチを演じたとしても、全く違和感がないことだろう。


また、フツヌシとタケミカヅチはコンビだが、忌部氏のフツヌシのほうが身分が上である。





なので神話では、フツヌシを主としてコンビの活躍が記されているが、実際に戦いに強いのはタケミカヅチのほうだろう。


これまでの肖像画のなかでは、唯一の武装で、甲冑の上にマントのようなものを羽織らせて、三国志の武将のような様相に仕立てた。



ちなみにヒゲの形は、武闘派を強調するために格闘家のドン・フライっぽくしてある。






書評


本は人である。


私は読書をしているのではなく、著者と向かい合って、あらゆることを問いかけているのだ。



日本建国史の研究に大いに役立った、いやそれどころか不可欠であったのが、原田常治はらだつねじという人物の存在である。


彼はもう前世紀にこの世を去ったが、本という分身のおかげで、2020年に生きるこの私が、直に教えを請うことができるのである。


古代日本正史・上代日本正史




古代日本正史』記紀以前の資料による

同志社 (1976/10/01)





上代日本正史』神武天皇から応神天皇まで

婦人生活社(1977/03/25)



著者:原田常治(1903年 - 1977年)



原田氏には、在野の歴史研究家というよりも、ベテラン刑事のような風采がある。


いうなれば、証拠は不十分ながら、長年の勘を頼りに容疑者をあぶり出して、確実に真犯人を捕まえるようなタイプの刑事である。



いかにもひと昔の刑事モノにいそうな、本庁とモメがちだが、徹底した現場主義を貫く所轄の叩き上げという感じだ。


学術的な説明をスルーしていることも多いが、これは本人も語るように〝歴史捜査〟なので、事件の真相を解明することが肝要である。



私が思うに、原田氏の検挙率は90%だ。


残り10%は、最大の〝ホシ〟であるミカボシの存在を見逃していたという盲点である。



現在では、原田説は完全にトンデモ扱いされているが、残念ながら彼より説得力のある史観を私は見たことがない。


古代という史料のほとんどない時代は、もはや誰でも信憑性は同じような気もするが。



原田氏は、出版社の社長兼編集者であったが、70歳を過ぎて会社を譲って、それから本格的に古代史研究を始めたらしい。


高齢ながら勢力的に、全国各地を駆け回って、神社の伝承などの現地調査を行った。



原田氏の経営者としての能力については、偶然見つけた以下のツイートが述べている。


「海竜社の下村のぶ子社長は、編集、経理、営業、小説、織もの、生花、料理・・・・・・と、あらゆるものをこなした怪物社長、原田常治(講談社出身)に育てられた編集者である。」

書籍『ベストセラー感覚』塩沢実信著より

https://twitter.com/YuzoNito/status/3231558680969216?ref_src=twsrc%5Etfw



なんでも器用にこなす敏腕社長だったようだ。



今でこそ、ネットで調べればだいたいの神社の伝承を知ることができるし、グーグルマップで神社の説明板の写真も見ることができる。


それに、国土地理院の地図なら、地形も詳細に把握できるので、もはやいちいち現地調査する必要がない時代になった。



だが、原田氏が生きていた70年代には、それがなかったわけで、高齢での無理が祟ったのか、『上代日本正史』の出版の同年に亡くなった。


当時は宅地開発の途上だったので、まだ往古の風景や地形、今は失われた神社の伝承が残っていたので、むしろ最後のチャンスだったのか。



どれだけ成果が挙げられるかは分からないが、私も原田氏のように、各地を現場検証したい。


やはり今、情報社会を謳歌していても、現地で得られる情報量のほうが圧倒的に多いし、私もそれは強く実感している。



原田氏も、現地で多くのインスピレーションを感じとって、それを研究に活かしたはずだ。


私はまだ、ミカボシが拠点としていた茨城県の大甕神社にも行ったことがないので、原田氏の行動力を見習って現地調査してみたい。



「一般的に謎とされているが、先入観を外してよく考えればすぐ分かるようなことだった」


みたいなパターンが、原田氏の謎解きのなかでよくあるが、それは私も共感するところだ。



世の中のミカボシ研究がいかに的外れか、よく考えれば分かることなのに、なんで誰も真相に辿り着いていないのか、わざとか?などなど。


私は原田氏のおかげで、知らぬ間に歴史捜査の視点というか、感覚が身についたのだろうか。



本書の内容は、やや荒削りな部分が目立つが、それも明治生まれの〝古代史刑事〟の生き様が語りかけてくるようで、趣がある。


全日本人必読の名著である。



『古代日本正史』にある図表をスキャンして、画像補正したものが以下である。











消された物部氏「天津甕星」の謎




消された物部氏「天津甕星」の謎』天照大神に反逆した「明けの明星」が明かす古代「物部王朝」分裂の秘密

学習研究社(2004/10/07)



世に出回っている本のなかで唯一、ミカボシの名を冠している。


あのオカルト雑誌『ムー』の系列のシリーズ、ムー・スーパーミステリー・ブックスから出版されている本である。



著者:船場俊昭ふなばとしあき(1977 -)


神話研究家だと思うが、この本以外に出版した経歴がなく、詳細は不明の人物である。



私も船場氏と同業者になる可能性があるので、あまり悪いことは言えないが…。


正直、この本より私の記事のほうが、はるかにミカボシについて深く探究できている。



もちろん、この本で得られた知識も私の研究に貢献はしている。


だが、この本は資料集としては優秀なのだが、肝心のミカボシに関する考察が少ない。



どうも文章が「大人たちに整えられた大学生の卒業論文」という印象を受ける。


書かれたのが、船橋氏が今の私と同じくらいの年齢の時だったので無理もないが。



文章は読みやすいが、あまり内容にまとまりがあるとはいえない。


もしや、出版が急に決まったので、ミカボシの小説を書くための研究ノートをそのまま書籍に流用したのか?とさえ思った。



本の題名にもあるように、船場氏はミカボシが物部氏だったと主張しているが、私の研究から言わせれば、それはありえない。


ミカボシは、中島尾張氏(中島連)の祖だ。



というかそもそも、船場氏はなんでもかんでも物部氏にしてしまう傾向がややある。


なぜだか、フツヌシもタケミカヅチも物部氏にされていたし…。



コジツケも多いし、ハッキリ言って無茶苦茶な内容だらけだが、それすらを楽しむのがきっと正しい読み方なのだろう。


ちなみに、決してイヤミではないが、私はこの本を読んでとても勇気づけられたことがある。



「こんなに大雑把な内容でも本が出せるのか、ならば私もいつか日本建国史とミカボシの本を書いて出版しようじゃないか」そう思った。


ミカボシのことを知りたかったら、私の記事を読むだけで十分だが、きっとこの本から始まるきっかけが、あなたにもあるかもしれない。


Wiki風テンプレート





ウィキペディアには、このような記事の情報を整理した図表(テンプレート)がある。


これの日本建国史バージョンがあれば、劇的にわかりやすいのでは?という発想から、手探りながらhtmlのコードを組んで作ってみた。





私はウィキペディア編集が趣味だが、さすがに日本建国史をねじ込むわけにはいかないので、このブログの過去記事に載せることにした。


今からたくさんのリンクを載せるが、そこには私が昨年からちまちま作っていた作品たちが、今か今かとお披露目の時を待っている。


氏族


(サンプル)



日本建国史 氏族 出雲族
日本建国史 氏族 大和出雲族
日本建国史 氏族 日向族
日本建国史 氏族 忌部氏


王朝


(サンプル)



日本建国史 王朝 出雲王朝
日本建国史 王朝 日向王朝
日本建国史 王朝 出雲・日向連盟
日本建国史 王朝 第一次 大和連合王朝
日本建国史 王朝 九州王朝
日本建国史 王朝 信濃王朝
日本建国史 王朝 第二次 大和連合王朝
日本建国史 王朝 常陸王朝
日本建国史 王朝 球磨国(狗奴国)


人物


(サンプル)



●出雲族

日本建国史 人物 フツ
日本建国史 人物 スサノオ
日本建国史 人物 クシイナダ姫
日本建国史 人物 スセリ姫
日本建国史 人物 タケミナカタ


●出雲日向族

日本建国史 人物 オオクニヌシ


●日向族

日本建国史 人物 イザナギ
日本建国史 人物 イザナミ
日本建国史 人物 アマテラス
日本建国史 人物 タギリ姫
日本建国史 人物 クマノクスビ
日本建国史 人物 タカヒコネ
日本建国史 人物 コトシロヌシ
日本建国史 人物 イワレヒコ


●大和出雲族

日本建国史 人物 ニギハヤヒ
日本建国史 人物 ウマシマジ
日本建国史 人物 タカクラジ
日本建国史 人物 イスケヨリ姫
日本建国史 人物 アマツミカボシ


●大和日向族

日本建国史 人物 ナガスネヒコ
日本建国史 人物 ミカシキヤ姫


●忌部氏・レビ族

日本建国史 人物 タカミムスビ
日本建国史 人物 フトダマ
日本建国史 人物 フツヌシ
日本建国史 人物 タケハヅチ


●不明

日本建国史 人物 タケミカヅチ


年表





前までの年表は、エクセルで作って画像化して載せていたが、明らかになった出来事が増え、量も膨大になったので限界を迎えた。


なので、年表もhtmlのコードで作った。


日本建国史 年表


王朝対照年表





日本建国史 対照年表


このブログに載っている王朝の呼称は、すべて私が勝手に命名したもので、実際にこのような名称の勢力があった訳ではない。


おそらく、出雲や日高見国については、当時もそう呼ばれていたはずだが、なぜ私はいちいち独自の呼称を命名しているのか。



例えば、日向族は自たちのことをヘブライ語で神の民を意味する「ヤマト」(ヤ・ウマト)と称していたはずだ。


九州王朝の首都である西都原も、そう呼ばれていたはずで、それが「邪馬台国」として中国で記録されている。



そして、第一次連合の時代、まだ今の奈良県は大和ではなく、ナガスネヒコ時代から変わらず「トミ」(登美)という地名だった。


しかし、神武天皇が即位して第二次連合が発足したことで、日向の人間が多く流入し、初めて「ヤマト」(大和)と改称されたのだろう。



要するに、実際の呼称そのままだとややこしくなるので、便宜上の命名をしている訳だ。


当然、日本という国号がついたのもずっと後の時代のことである。



あと、もうひとつややこしい話をしよう。


勢力には「〇〇王朝」とついているが、これは国号ではなく、王朝などの政権の名前である。



例を示せば「出雲王朝」というのは、国の名前ではなく、王朝、すなわち王家の系列の名前のことなのである。


国としての出雲は「出雲王国」と呼称するべきだと思うが、なんだかムツゴロウ王国みたいで現実味がないので、王朝と言っている(笑)



それに、古代史界ではよく、想定される勢力のことを「〇〇王国」ではなく、「〇〇王朝」と呼ぶことが慣例なのも理由である。


厳密に国ごとに分けると以下のようになる。



○日向王国
・日向王朝(イザナギ朝)
・出雲・日向連盟(スサノオ政権)

○出雲王国
・出雲王朝(スサノオ朝)
・出雲・日向連盟(スサノオ政権)

○日本国
・第一次 大和連合王朝(ニギハヤヒ朝)
・第二次 大和連合王朝(神武朝)

○九州王国
・九州王朝(アマテラス朝)

○信濃王国
・信濃王朝(タケミナカタ朝)

○常陸王国
・常陸王朝(ミカボシ朝)


主要人物系図





こんなバラエティ豊かな家系図もそうない。


人物名の下にあるカラーコードを見れば、その人物がどこの王朝に属していたかがわかる。



相続者には黒色、君主(王・天皇)には黄色のタグをつけているので身分もわかる。


さながらカードゲーム図鑑だが、これくらいの遊び心が歴史究明には欠かせない。


勢力図


歴史を紐解くうえで、昔はあそこは海だった、ここは昔から平野だった、などといった地理を把握しておくことが必須だ。


ということで、国土地理院のサイトにある地図サービスで、古代の日本の地形を再現した。





よく見ると、東京も大阪も海の底だし、新潟や茨城も沼地だらけで、奈良や京都の真ん中には今はなき湖があり、平野は青々としている。


具体的には、海抜を数メートル上げることで、各地の埋立地を水没させ、今はもう干拓された湖の水位を上昇させ、時計の針を戻した。





「自分で作る色別標高図」というサービスだ。


このデータを元にして、埋立地やダム、または人工河川などの古代にないものを、画像加工でしらみ潰しに消していく。





さらに地形図に境界線を加えた。


これはもっと後の時代の令制国による行政区分なので、厳密にはここまで綺麗に区分けされていないと思うが、目安にはなる。





副業がグラフィック・デザイナーであることを活かして、IllustratorやPhotoshopという有料ソフトでだいたいの図表を制作している。


本来、どれも普通なら無料で公開できるような代物ではないことを理解いただきたい(笑)


草創期


西暦157年頃〜168年頃



連盟期


西暦173年頃



西暦177年頃〜180年頃



西暦181年頃



西暦185年頃



西暦214年頃



対立期


西暦215年頃



西暦220年頃〜220年代後半



連合期


西暦230年頃



西暦237年頃〜240年頃



西暦241年頃



進出期


西暦242年頃〜240年代後半



西暦246年頃



西暦247年頃



西暦248年頃



統一期


西暦295年頃



最後に


これまで見せたテンプレートや図表の一覧は、以下にまとめた。


日本建国史 一覧



肖像画と図表の高画質版はseesaaブログに。


【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】高画質図表



最後に、日本建国史シリーズをずっと応援してくれている、Hidari_uma(釣りバカ)氏のサイトも必見である。


Hidari_umaの雑記帳: 日本建国史の真実



——了——



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