あきた(通巻10号) 1963年(昭和38年)3月1日発行 -全64ページ-

味覚巡礼

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ウサギ料理  皆川忠彦

 十一月一日、狩猟の解禁を待ってマタギ連は一斉に山野に出かける。きじ、やまどりは、一人で一日三羽の制限でしかも販売を禁じられているので、一般の口に入るのは程遠い存在である。
 ムジナ(アナグマ)や狸も安値で獲る者が少く、したがって彼等の目標は山ウサギの捕獲である。他の獲物は薄くなったが、山ウサギだけは、県内いたるところに棲んでいるので、一般大衆には身近な山の獲物といえよう。

 ウサギ料理は、他の鳥獣と同じくナベ物や汁物にしてよく、また、焼肉としても用いられる。昔は正月の肴にウサギがたくさん用いられ、.「オレの家でも、ウサギの一羽くらい買って年とらねば」といって、暮れには飛ぶように売れたものだという。私の住んでいる角館地方では狩猟の解禁と同時に、まだ衣更えなかばの山ウサギが店頭に吊り下げられ、往来の人々の目をひく。このような情景は他ではほとんど見られなくなったが、雪国のわれわれには、何かしら淡い郷愁をおぽえてならない。

 山ウサギは、茶かっ色から白色に毛が変る頃からシュンになる。目方はたいてい六百匁(二・二二五キログラム)から七百匁(二・六二八キログラム)のものが多い。中には一貫〆(三・七五キログラム)もの大物もいるが、極くまれである。肉の味には、雌雄の差はないようだ。
 晩秋から降雪期にかけて栗の実などを食べて、オガッタものは、背中にしっとりと脂がかかり、味はひとしお上等である。
 肉は一種の臭味があるので、この臭味を消すため、生の肉をよく塩もみをし、それをよく水洗いしてから料理するのがコツ。
 味はその人の好みにもよるが、味噌八醤油二の割合がもっともよい。いまではすき焼風のナベ物が一般に用いられているが、近代料理として「焼肉」や「味噌漬田楽」がある。
 皮を剥いだ丸ごとのウサギの股をばらして枝にする。これを若干の糖分を加えた酒粕味噛(酒粕とみそを混ぜたもの)に一昼夜ほど漬けてからとりだし、漬味噌を適宜にぬって焼くのである。好みによっては、唐辛子などをふりかけて食べる。若鶏の股焼や包み揚げには劣るとしてもやわらかい肉にふんわりとした酒気が漂い、恋をしているような味わいである。
 焼肉は、おろしショウガと醤油、ミリンのたれに二時間以上漬けて味をしみこませ、これを焼いて食べる。


 さて、昔から伝わるものに「スカ」料理というのがある。今でも鳥海山麓の鳥海村百宅(モモヤケ)や笹子(ジネゴ)地方で作られる、一名糞料理ともいう。
 山ウサギの皮を剥ぎ、腹を割いて胃の内容物だけ除いて、頭、骨、臓物一切を水煮してから味噌で味をつけ、ごぽう、にんじんなどを入れて煮合わせるもの(火からおろす際に臭気を消すためのネギを入れる)。また、別に腸、キモ、肺だけを水煮したものを適宜に切り塩をつけて食べる。(注、腸がふくれ、お湯の中で破れて飛び散ることがあるので、ふくれたらツマ楊枝などで突き刺して破ること)。更にまたこの煮汁に味つけし、菜漬けやオカラ(豆腐粕)など入れて煮返して食べるが、なかなかの風味がある。「スカ」料理にするウサギは深雪で樹木の新芽だけを食べる頃のしかも午前中に獲ったものがよく、午後からは腸の内容物が粒になるので不適だといわれる。この料理法は、いつ頃から作られたものかは明らかでないが、マタギ連の一部の者が煽てに乗って、「食って食えないことがない」といって食べたのが、はじまりだろうといわれている。また「スカ」という名前は、マタギ言葉だろうという説があるが、これまでの資料では、マタギ言葉の中には見当らない。

 変ったものにウサギの「皮煮」がある。剥ぎだての皮を火にかけて毛だけを焼ぎ何回も湯で洗ってから水煮する、それを線切りにして、酢味噌和え、酢味噌和えまたはネギ味噌和えなどにし、酒の肴として用いる。
 阿仁の比立内地方では、この毛焼きした皮と臓物(ヨドミといっている)を酒粕(昔はドブロク)と味噌で煮たものを珍味としている。今一つ良味のものにウサギを骨ごとブッツラ切りにし、臓物とも削りごぼうを入れて水煮する。それを味噌とドブロク(いまでは酒粕)で味をつけ人参、蒟蒻、豆腐、野菜などを入れて煮込むのである。たき火の挨りをかぶり、大鍋の中でプツプツと音をさせながら煮えるこのウサギ汁を想像するだに、ヨダレの垂れる思いがする。

 私は数多い料理の中で、この「ドブロク煮」ほど好きなものはない。それは山ウサギの持ち味が最高度に生かされているからであろう。
 (角館警察署長)