ポップカルチャーの世界において、ノスタルジーは最重要事項である。これはずっと前からの真実だ。過去の人気テレビ番組の再結集版がつくられたり、『スター・ウォーズ』を巡る議論がTwitterで白熱したりするのも、その表れだと言っていいだろう。

最近、なかでもノスタルジーが強まっているのがヴィデオゲームの世界だ。レトロゲームには続編がつきものだが、リリースの延期や中止が相次ぐ現在、聞こえてくるのは名作ゲームのリメイク版やリマスター版の話ばかり。事実上、話題はそれくらいしかないと言っていい。この状況はしばらく続くだろう。

そんな現状を顕著に表しているのが、最近発表された「トニー・ホーク プロ・スケーター 1+2」リマスター版の発売を歓迎する声だ。「トニー・ホーク プロ・スケーター」は、初代プレイステーションの時代に確立されたエクストリームスポーツというゲームジャンルをゼロからつくったとは言わないまでも、明確に打ち立てたスケートボードゲームである。

その「トニー・ホーク」が帰ってくるというニュースを受け、ファンは歓喜に沸いている。もちろん、それだけの理由がある。今回の新作では、オリジナルのアイコニックなサウンドトラックやステージ、物理的な挙動の多くが復活するほか、かつてのスケーターたちも収録される。50歳を過ぎて引退していたプレイヤーたちも、再び滑る夢をかなえられる。非常に魅力的な企画なのだ。

これは示唆に富んだ動きでもある。いま、ノスタルジーを大いに発動している「あつまれ どうぶつの森」を除けば、「トニー・ホーク」のリメイクというアクティヴィジョンの発表は、ここ最近ゲーム界隈が沸き立った数少ない出来事のひとつだろう。匹敵するのは「ファイナルファンタジーVII リメイク」のリリースくらいで、こちらはこの手の試みの常で称賛と異論が入り混じっている。

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パンデミックの時代のゲームの意味

ハリウッド映画と同様に、ゲーム界でもリメイク版、リマスター版が時代の流れになってしばらくたつ。しかし、特にゲームのリブート版がいまこの時代に合っているのは、何らかの背景があるはずだ。このトレンドが下火になるのを待っている人もいるかもしれないが、それはまだ少し先になるだろう。

ここでやはり、重要な点に触れないわけにはいかない。新型コロナウイルスのパンデミックである。いつ終わるとも知れない自己隔離や自宅待機が続き、誰にとっても状況は厳しくなっていく。

人々は多くを失い、不安と向き合いながら日々の生活を送っている。これまで幸いにも恵まれた環境にあった多くの人は、経験することのなかった現実だ。そうした恵まれた特権を享受している層は、とりも直さずエンターテインメントやヴィデオゲームの主なつくり手や消費者でもある。

不安が高まるなか、ゲームが人々が現実からの逃避として興じる気晴らしになるのはごく自然なことだろう。人々がどんなゲームをどう消費するかによって、何を制作しリリースすべきかが決まる。

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ノスタルジーが与えてくれる心地よさ

いまのような時代にあって、ノスタルジーが与えてくれる心地よさはありがたい。いま「トニー・ホーク プロ・スケーター」や「ファイナルファンタジーVII」が大きく話題になっている理由のひとつは、これらのゲームがファンを以前の世界へいざなってくれるからだ。

すなわち、新型コロナウイルス以前の世界、ロックダウン生活やさまざまな不確実な要素が渦巻く2020年より前の世界である。新型コロナウイルス以前の世界も、実際にはいま振り返って思うほど不安や不確実性がなかったわけではないにしても、それでも牧歌的で温かい世界に感じられる。それがノスタルジーのなせる業だ。

ノスタルジーは過去をきれいな色に塗り替え、実際よりも美しく神聖なものに見せるよう作用する。先に触れた『スター・ウォーズ』を巡るTwitterの議論を見るだけでも、それがわかるはずだ。

忘れてはならないのは、ヴィデオゲーム業界は好調時でもノスタルジーを軸に動いている点である。さらに、ゲーム開発にかかるコストが空前の上昇を見せ、各社が次世代家庭用ゲーム機のリリースを予定するなか、開発コスト増にますます拍車がかかるのは必至だ。

パンデミックの影響で悪化した経済は、今後数年にわたりゲーム業界にもさらなる影響をもたらすだろう。今年、開発や流通を巡る技術的な問題によりリリースを中止したり、企画自体がストップしたりしたゲームは、この先も長く連鎖する影響を及ぼすことになる。そうなれば、少なくとも当面は一から新しいゲームをつくるよりも、既存のゲームに手を加えて新装版にするほうが実現可能な選択肢となることは、想像に難くない。

過去への再訪にも意義はある

世界全体が集合的なトラウマと向き合っていくにあたり、ゲーム業界もリスクのある題材を避け、できるだけ安全策をとると考えられる。かつてのヒット作を再生することがいちばん安全に思える場合はあるだろう。

確かにしばらくはそれもいい。しかし、新たなゲームプレイやグラフィックで昔のゲームをアップデートさせることに焦点を当てていれば、本当の意味で新しいものを創造するよりも、繰り返し使い回していくことを重視する時代におのずとなってゆくのではないか。

結局のところ、リメイクは人をほっとさせる懐かしい食べもののようなものだ。そして困難に直面した人が求めるのは、まさにそれなのである。

懐かしく心地いい食べものも、ノスタルジーも、一概に悪いわけではない。過去への再訪も意義のある企画になりうる。「ファイナルファンタジーVII リメイク」のように、しかるべき手を加えれば可能なのだ。同作は過去の技を発掘する一方で、それを評価し直し、そこから新たな意味をつくりだすことに成功している。

それでも、これから待ち受ける厳しい数年のあいだ、ゲーム制作を取り巻く経済的事情から、新しい大胆なオリジナル作品をつくろうとする試みがあまり評価されなくなるかもしれないのは、少し残念でもある。歴史の流れにおいて現時点ではすべてがそうだが、未来は不透明だ。しかし、リメイクに慰めを見出す人にとって風向きはいいのかもしれない。リメイク作品は当面まだまだ出てきそうだ。

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