「このパンデミックは、かつてないほど急速に広がっています」

テレビのレポーターが、カメラに向かって声を張りあげる。これはゲーム「バイオハザード」シリーズの最新作「バイオハザード RE:3」のオープニングのワンシーンだ。

このゲームは、都市や国を荒廃させて人類を屈服させる未知の悪性ウイルスをテーマにしている。このウイルスがなぜ広がったのかについて、ゲームのなかでは驚きの事実が暴露されている。

そうしたプロットは、いまの社会情勢とリンクしている。ずっと前から続くゾンビホラーゲームの新作が、このタイミングでリリースされることになるとクリエイターたちが想定していたとは、とても思えない。

それなのに、このタイミングだ。「バイオハザード RE:3」は、世界中で家に引きこもっている人たちにもたらされた、楽しく盛り上がれるゲームであると同時に、おそらくこの先もうつくられることはないであろう種類の“災害もの”のゲームだ。

モンスター級のゲームシリーズ

カプコンが手がける「バイオハザード」は、ゲームはもちろんのこと、映画や漫画、小説などにもなっているモンスター級の利益を生み出してきたシリーズだ(ドラマCDまであるらしい)。1996年にリリースされた最初のプレイステーション版は、2人の特殊部隊員が主人公で、ゾンビがはびこる洋館からの脱出を目指すというストーリーだった。

これまでに11タイトルがリリースされており、そのクオリティは至高の名作と言えるものから最悪と言っていいものまで、ばらつきはある。それでもトータルで9,500万本以上を売り上げている。

「リトリビューション」「アポカリプス」といったスリリングなタイトルがついている映画版も6本ある。こちらのクオリティはどれもどっこいどっこいだが、それでも史上最大の興行収入を誇るゲーム原作映画シリーズとなっている。

好き嫌いはともかく、2000年代以降にゾンビものがリヴァイヴァルした影には、バイオハザードシリーズの功績があったのは確かだろう。このほどPS4、Xbox One、PC版が発売された「バイオハザード RE:3」は、1999年発売の名作「バイオハザード3 ラストエスケープ」のリメイク作品だ。

プレイヤーは特殊部隊の精鋭メンバーであり、ディオールのモデルのようなルックスでもあるジル・バレンタインとして、ウイルスが蔓延し、ゾンビがうろつくラクーンシティからの脱出を目指す。

美しいホラーショーへと変貌

「バイオハザード2」のリメイク版にあたる「バイオハザード RE:2」もそうだったのだが、本作でも初代PS版のカクカクした不鮮明なグラフィックが、美しいホラーショーへと変貌している。見た目とサウンドは素晴らしい仕上がりだ。

ヨタヨタと近づいてくるゾンビの大群は、血管が膨張し、あごをガタガタさせて口から血をしたたらせ、うめき声をあげている。バレンタインを追う巨大ゾンビの「ネメシス」は、盛り上がった赤い筋肉からなる体と、ピアノの鍵盤のような歯をもっている。バイオハザードなどをまねてつくられたアクション映画よりも元のゲームのほうが、はるかにエンターテインメント性を増していることをはっきりと感じさせる仕上がりだ。

日本語版タイトル「バイオハザード」は、英語版では「Resident Evil(レジデント・イーヴル)」と改称された。これは「バイオハザード」というニューヨークのハードコア・パンクバンドが存在していたからだ。しかし、どのようなプロットのシリーズなのかは、「バイオハザード」というタイトルのほうに明確に表れている。

悪の中枢はアンブレラという企業だ。製薬会社という表の顔をもちながら、密かに生物兵器(ゾンビ化ウイルス)を開発している。

キャラクターたちの会話は、これまでと変わらず型どおりで、バカバカしさも相変わらずだ。これは制作者たちも承知のうえでやっている、このゲームの魅力のひとつだろう。バレンタインが消火栓のホースを探すシーンでは、たっぷりとした髪の毛を無造作に整えたカルロスが、「君ならそのクールさで、火のひとつやふたつ消せるさ」などと声をかけるのだ。

わざと荒唐無稽なつくりにしてあるエンターテイメント作品の細かいところをつつくのは、不適切かもしれない。だがやはり、パンデミックが広がるやいなやレポーターたちが集まって、警告灯を光らせた警察車両や燃えるビルの前から暴動の取り締まりを伝えているシーンは見過ごすことはできない。

「建物が燃えています。人々は暴徒化し、店は略奪されています……」

ラクーンシティでは、社会の秩序がたちまち崩壊しているのだ。

ゾンビ映画ならでは描写の真実

もちろん、こうした筋書きを採用しているのはバイオハザードだけではない。「The Last of Us」や「Days Gone」といった、ここまで荒唐無稽さを押し出していないアポカリプスゲームでも目立つ表現である。ひっくり返ったクルマや暴徒化する市民、建物に火が燃え広がるといったシーンは、大惨事ものの映画では超定番だ。

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ゾンビ映画というジャンル全体の根底にあるこうした表現は、「この地獄は自分たちに起こっていることではない」ということを示すためのものなのだ。恵まれている自分たちは関係ないが、人類はもともと利己的なので、ゾンビの大群に襲われて破滅に追いやられるのは仕方ない、というわけだ。

だが、こうした描写が正確なものであるという根拠はない。

『Journal of Applied Social Psychology』という応用社会心理学の学術誌に2013年、サセックス大学の研究者らによる論文が掲載された。この論文は、ハリケーン「カトリーナ」に対する反応などの事例を挙げながら、「大衆のパニック」や「市民の無秩序」といった災害にまつわる神話が、警察の厳格な措置を正当化してきたことを示している。一方で、50年以上にわたる社会学研究によれば、市民の無秩序化といった恐ろしい行動があったという事実は確認されていない、と論じている。

むしろ災害は、人間のよいところを引き出している。人々は協力しあい、立ち直ろうとする。利他的行為や寛容さ、勇気も、通常時よりはるかに高い水準で示されることがわかっているのだ。

奇妙な歴史的作品として名を刻む?

だからといって、90年代の大惨事映画のようなプロットのバイオハザードが、もっとリアリズムを目指すべきだと言いたいわけではない。先に挙げたような比喩的表現を採用するエンターテインメント作品は、この先はもう出てこない可能性がある。新型コロナウイルスのパンデミックが収束したあとの未来では、以前の神話が人々の想像力をしばりづらくなるはずだからだ。

大衆向けのエンターテインメントは、人間の性質について「常識」とされている筋書きを利用する。大惨事をテーマにしたストーリーの前提として、人間はスーパーマーケットから客が姿を消すくらい、すぐに残酷な行為に身を落とす、という思い込みがこれまでずっとあった。しかし現在のパンデミックでは、それとはまったく逆のことが日常的に起こっている。

そうした日常を経験しているわたしたちは、この先「バイオハザード RE:3」のようなゲームのことを、奇妙な歴史的作品として振り返るようになるだろう。本当の惨事を理解していない人々が、独りよがりで残酷な思い込みを元につくった作品として。

※『WIRED』によるゲームのレヴュー記事はこちら


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