伊藤詩織さん考察blog

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伊藤詩織さんの発言と行動を、ファクトに基づき時系列で考察していくブログ。

伊藤詩織さん考察・時系列【2017】1月~6月

この投稿では、伊藤詩織氏がついに世間に顔を知られた2017年前半の行動を時系列で考察していく。ソースは
著書「Black Box」➡ 
メディア ➡ 
SNS等の投稿 ➡ 
で色分けする。なお筆者のコメントは💡、伊藤氏の行動は🔴、山口氏の行動は🔵、アルマーク氏は💚、岡村優太氏は💛で示す。

1月

1月1日 🔴京都の平安神宮を訪れた時の写真を友人がSNSに掲載f:id:gatitomaurice:20200329145157j:plain
💡この日に撮影された写真ではないかもしれないが、装いから少なくとも2016年11月後半~12月ではないか。2016年から着物にハマったらしい友人Kに誘われたのだろう。

1月5日 🔴赤坂見附豊川稲荷東京別院を訪れた写真が友人のSNSに掲載f:id:gatitomaurice:20200329145949j:plain
💡上と同じ友人が投稿。これはリアルタイムで投稿されている。

2016年の正月はアルマーク氏とイギリスで過ごした伊藤氏だったが、2017年は日本で過ごしたようだ。

1月5日 🔴自身のFacebookで「孤独死」ドキュメンタリー公開を宣伝

この投稿のコメント欄で、伊藤氏は親しい友人らしい人物からの祝福コメントに「ありがとう!ついにだよー!また一波乱あったのだけど。。今度聞いてね!笑」と返信している。筆者も女性なのだが、女友達に「今度聞いてね!笑」と言う場合は百発百中で恋愛の話である。笑

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「また」というからには、もう以前に一波乱起きていたということだ。アルマーク氏との関係が2016年後半から悪化していたことが推測される。

 

1月10日 💚アルマーク氏、SNSで「孤独死」ドキュメンタリー放送を宣伝

この後は主に東南アジアを転々とするが、伊藤氏と写った写真は2018年4月まで投稿されない。正確にいつかは分からないが、2016年末から関係が悪化し、2017年初頭に別れたと推測される。

1月31日 🔴The Economistの動画「The Earth Circle: making environmentalism pay its way」公開

伊藤氏のウェブサイトによると、どのような役割でかは不明だが、制作に関わっているとのこと。The Economistはロンドンに所在するエコノミスト・グループから発行されているイギリスの週刊新聞である。これもアルマーク氏の紹介で得た仕事ではないか。

2月

2月28日 🔴自身の Facebookで「Racing in Cocaine Valley」公開を宣伝
コメントで「暑いジャングルでの日々楽しかった。今年も南米で企画中!スペイン語頑張らなきゃ」と書く。

3月

3月9日 🔴Additional reporterとして参加した、日本の痴漢についてのAl Jazeeraの記事を自身のFacebookInstagramにて宣伝
Al Jazeeraはアルマーク氏が何度も動画を提供してきたメディアだ。これもやはりアルマーク氏の紹介があり実現した記事ではないかと思う。

🔴清水潔から連絡。週刊新潮が山口氏との事件を取材したいとの申し入れ。打ち合わせを約束。しかしコロンビアへ取材旅行に出かけなければならず、帰国後に会うことに

💡ジャーナリスト清水潔のそっ閉じ

2015年の7月末に伊藤氏から個人的なルートで相談を受けたという清水潔氏。5月の伊藤氏の顔出し会見の後の2017年7月3日、タレントの大竹まことのラジオに出演している。[書き起こしはこちら]

このラジオを聞くと、清水氏は伊藤氏の証言に変遷がないことから「信憑性がある」と判断しているだけで、基本的には伊藤氏の話を丸呑みしているだけということが分かる。防犯カメラの映像は見ているはずだが、例の防犯カメラ映像は、信じたい人に信じたいものを見せてくれる魔法の鏡のようなものであるらしい( #伊藤詩織氏のカルテと防犯カメラ動画の公開を求めます ハッシュタグ拡散のご協力をぜひお願いいたします!)

ラジオ出演後から、Twitterでも伊藤氏を擁護するツイートを頻繁に行っていたのだが、2018年4月14日のツイートを最後に、ぱったりと伊藤氏への応援ツイートをやめている。

あれだけ応援していたのだから、民事一審の勝訴時には何かしらツイートしてもいいはずだ。しかし全くのスルー。潔…君は何を知ってしまったんだい?と優しく聞きたくなるほどの「そっ閉じ」ぶりである。

清水潔が伊藤氏の応援を辞めた、2018年4月辺りに何があったかは、次の次の投稿で述べることにする。

4月

4月2日 🔴コロンビアのボゴタからSNS投稿

4月23日 🔴TwitterFARCに関する取材依頼
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4月29日 🔴コロンビアから帰国途中、ニューヨークに立ち寄るf:id:gatitomaurice:20200329181639j:plain

5月

5月1日 🔴ニューヨークで友人と面会f:id:gatitomaurice:20200329181813j:plain

🔴帰国後、清水潔氏や週刊新潮の編集長も同席しミーティング。この時点では自分の名前と顔を出して会見することを決めていたが、清水氏に止められる

5月7日 🔴後にBBCドキュメンタリーに挿入される自撮り映像を英語で撮影

💡「BBCが無名の伊藤にずっと前から貼り付いて撮影していた」というよりは、伊藤氏が性暴行の被害者として海外メディアに自分を売り込む計画をこの頃からすでに立てていたのだと思う。BBCのドキュメンタリー撮影は明らかに2017年秋冬に行われているので、おそらく夏頃、伊藤氏が「ロンドンの女性人権団体からイギリス移住を提案された」と言っている頃に決まったのだろう。

今までのパターンから推測して、人権団体から提案され移住したなどという大それたものではなく、BBCドキュメンタリーを一緒に撮ったErica Jenkin、Hanna Aqvilinの部屋にいつでも泊まっていいよと言われたくらいではないだろうか。イギリス移住の件に関しては後述する。

 

これまで伊藤氏の人生を時系列で検証し見えてきたのは、彼女はとにかく海外で暮らしたい、海外で認められたい欲求が強い人だということである。押しが強く、野心家で、思いつきの行動力は物凄いが持続性はなく、同情を引き他人からの、特に男性からのサポートを得ることに長けており、それを得るためには真実を自分の都合の良いように誇張、歪曲、隠蔽することを全く厭わない女性だ。

2015年、2016年だけ見ても、通常の人には考えられないほど精力的に動き回っている。しかも、私がSNSなどで知り得る情報は現実の一部であろうことから、実際にはもっと旅行したり、もっと様々な事をしている可能性がある。ほんの一部なのにも関わらず、時系列を追うだけで目眩がしそうなほどだ。

 

これだけ精力的で、野心があり、行動力があり、かつ魅力的とあれば、自分が欲するものを手に入れることはそんなに難しいことではないのかもしれない。世の中で名をなす人は、多かれ少なかれ似たような性質を持っているのかもしれないとも思う。事実、この後に顔出しで会見を行ってから、伊藤氏は更に精力的に世界を飛び回り活動することになる。

”レイプサバイバー”として、性暴行被害者に対する支援や法律の改善を求めたり、性教育を広める活動を幅広く行っている彼女を見て、「主張の真偽はどうあれ、彼女の活動は確かに社会のためになっている、公益になっているからいいじゃないか」と思われる方もいるかもしれない。しかしその公益が、1人の男性のキャリア、名誉、家族、人生すべての強制的犠牲の上に成り立っているとすれば、それは文明社会ではあってはならないだろう。

 

5月8日 🔵週刊新潮から質問がきたことをFacebookに投稿

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5月10日 週刊新潮に初めて記事が掲載される
🔵週刊新潮の記事に関してFacebookに投稿

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とても長いが、山口氏の重要な主張が載っているので、ここに転記する。

週刊新潮の記事について】
今週号の週刊新潮に私に関する記事が掲載された事について、まずは平素よりたくさんのご支援ご指導をいただいているフェイスブック上の知人の皆様に、私の見解と対処方針をしっかりお伝えしたいと考えています。事柄の性質上、ジャーナリストとしての活動とは離れた個人的な内容が多くなりますので、ご興味の無い方はスキップして下さい。

 

⚫︎最初に下記3点を明確にします
・私は法に触れる事は一切していない。
・当局の厳正な調査の結果、違法な行為がなかったという最終的な結論が出ている。
・この過程において、私は逮捕も起訴もされていない。
(今回に限らず、私は今まで一度も逮捕や起訴をされたことはありません)

 

繰り返しますが、私は一切法に触れることをしておりません。もし記事中にあるように、私が「デートレイプドラッグ」なる薬物を使用したり、盗撮したり、レイプしたのであれば、日本の優秀な捜査機関や司法機関が見落とすはずはありません。私はパソコン、タブレット、携帯端末を含むあらゆる証拠となるものを当局に提供し、全面的に調査に協力した結果、犯罪行為がなかったという結論が最終的に出ているわけです。

もし、身に覚えがない被害届を出されたとしたら、全ての人物は私と同じ対応をするしかなかったと思います。

犯罪行為がなかったという最終的な結論が一年ほど前に出た後も、当該人物側がこの話をスキャンダルとして各種メディアに売り込もうとしていたことは察知していました。しかし私としてはやましいことは一切ないので、本を出版したりテレビに出演したりしてジャーナリストとしての活動を続けてきました。

私が会社を辞め、言論活動を本格的に開始した後に、今回の記事が出たのはなぜなのか、理解に苦しんでいます。いずれにいたしましても、今回の記事は私の社会生活に深刻なダメージを与えるものですので、法的措置を含め断固たる対応を検討していきます。


⚫︎逮捕状について
記事では何か政治的な力が働いて逮捕状が握りつぶされたかのような内容になっていますが、逮捕状について私が誰かに何かを頼む事そのものが全く不可能であった事は火を見るより明らかですので、時系列でご説明させて下さい。(なお記事中では逮捕状が出ていたと断定して書かれていますが、私はそれが事実かどうか現在でも知るすべがありません。当局の方には逮捕状を示されたことも、逮捕状について言及されたこともありません。全ての調査は任意で行われました。)

私は、TBSワシントン支局長を務めていた2015年3月、週刊文春に「ベトナム戦争当時の韓国軍慰安所」に関する寄稿をしました。これについて4月下旬に会社から処分を受け、ワシントン支局長を解任され営業局へと異動するよう命じられました。

 

週刊新潮の記事中にある「6月8日の山口の成田空港への帰国」とは、私が異動先の営業局での勤務を開始するために帰国した日の事を指しています。記事では私の成田到着直前に、逮捕状が握りつぶされたと書かれています。

しかし、この帰国の際、当たり前ですが、私は自分が当局の調査の対象になっている事は全く知らず、ごく普通に成田空港に到着し、出迎えに来てくれていた会社の元上司と都心に向かったのを覚えています。

その後、6月中旬だったと思いますが、警視庁の方が私の家においでになり、そこで初めて被害届が出されている事を知りました。来訪された2名の警視庁の方は大変丁寧で、任意の調査に協力してほしいと言われました。やましい事は一切なかった私は、全面的に応じる旨お伝えして全ての調査がスタートしたのです。

要するに、6月8日の帰国段階で私は、当該案件について逮捕状はおろか、被害届が出されている事も内偵調査が行われている事も全く知りませんでした。出ているかどうか知りもしない逮捕状を握りつぶすために何かアクションを起こす事は誰にもできません。

 

⚫︎今回の渡米について、
 今回私は5月1日の北米でのフォーラムを皮切りに海外取材を続けています。北朝鮮情勢についてアメリカなど各国の対応を取材するほか、日米関係について専門家や外交担当者に面会して所見をうかがっています。その最中の5月6日未明、週刊新潮の記者の方から携帯電話とメールに連絡があり、質問状をいただきました。これにより初めて週刊新潮さんが私の記事を掲載予定だと知りました。ですから、週刊新潮に都合が悪い記事が出るから海外に逃げたなどという指摘は、全く事実と異なります。


長文乱文となってしまいました。改めましてFacebookでご縁をいただいた皆様から、たくさんの励ましのメッセージをいただいている事に、深く感謝申し上げます。今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。

5月29日 

🔴記者会見。同日、検察審査会に審査申し立て
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🔵記者会見に関してFacebookに投稿

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💡消された会見

この日の記者会見の動画がどこを探しても見つからないのは、もうすでに他の方のブログ等でも語られている通りである。

当時のニュース映像の中に少しだけ会見の様子が残されていたので貼っておく。

💛岡村裕太氏

アルマーク氏に代わって、現在伊藤氏を公私に渡ってサポートしているのが岡村裕太氏だ。2人が正式に行動を共にし始めるのは2018年になってからだが、ここで先に彼の紹介をしておきたい。

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岡村裕太 Yuta Okamura
山口県出身 おそらく1987~1988年生まれ。自身のウェブサイトでの自己紹介では

ロサンゼルス在住。ジョージ・ルーカスロバート・ゼメキスジョン・カーペンターらを輩出した南カリフォルニア大学映画学部で映画演出を学ぶ。監督したショートフィルムが海外の映画祭で数々の短編賞を受賞。フリーランスとして映画、CM、ミュージックビデオを監督。「The Lost Samurai」と「Waking Up」がHatch Film Festivalで最優秀作品賞を受賞。Asian on Film Festivalでは作品賞と監督賞を受賞。プロデュースと編集をした長編ドキュメンタリー「Resistance is Life」は11の国際映画祭で作品賞と観客賞を受賞する。

とある。しかし、この自己紹介ではなかなか岡村氏の凄さが伝わらない。こちらのインタビュー記事をぜひ読んでみてほしい。

簡単にまとめると、幼い頃から映画監督になることが夢だった岡村氏は、映画学部で世界最高峰と言われる南カリフォルニア大学(USC)に入学するため、高校卒業後にNIC International College in Japanに入学し、高校で赤点だった英語を1年間勉強する。その傍ら映画サークルにも参加。パソコンを持っていなかったため、Adobeのビデオコンテストに応募し優勝してデスクトップのパソコンを入手。そのパソコンで映画サークルの仲間と短編映画を制作、国内のフィルムフェスティバルでグランプリを受賞

NIC終了時には奨学金を取得し、まずはサンタモニカカレッジで一般教養を履修。その後、倍率80倍と言われる南カリフォルニア大学(USC)に編入した。卒業時には学年で4人しか選ばれない卒業制作の監督に選ばれ、そこで作った短編映画『Waking Up』が数々の映画祭で入賞し、アジアオンフィルムアワードでは、作品賞、監督賞、主演男優賞の3冠を獲得した。

伊藤氏と知り合ったであろう2017年には、居住地であるLAと日本を行き来しながら、監督として仕事をしたり、エディターとして参加したドキュメンタリーの授賞式に出たりと、精力的に仕事をしていた。ところが、伊藤氏と行動を共にし始めた途端、まるで自分の人生は置き去りにしてしまったかのような奉仕ぶりを見せている。

 

次回の投稿では、伊藤氏がメディアで引っ張りだこになり始めた2017年後半を、岡村氏の動向も含めて時系列で見ていきたいと思う。