[3-46] Plague Maiden
それからさらに約一ヶ月で、帝国青軍はゲーゼンフォール大森林内部に築いた陣地の半数を失陥。
しかしこれを座視していたわけではなく、森への橋頭堡を失うまいとする青軍は残る陣地を拡張。さらに森の外に控えていた部隊をも送り込んで守りを固めた。
同時に青軍は大森林攻略部隊の増強も決定。増援の到着まで耐える体勢となった青軍に対し、魔物とエルフたちの連合軍は一時攻め手を休め、戦況は膠着状態に陥った。
だが、その裏側ではもう一つの攻撃がいつの間にか始まっていた。
一連の出来事はまず、唐突に、ある種の薬草が買い占められるところから始まった。
『フクレツユクサ』なる薬草は、紅白の可愛らしい花を付ける草で、風船のように膨らんだ節の部分に汁を溜め込んで育つ。秋に収穫期を迎える薬草で、その時期になると汁(名産地の名を取って帝国などでは『リンミン原液』とも呼ばれる)のみを抜き取って樽になみなみ蓄え、それから一年使うのだ。
これは複数のポーションの調合レシピに用いられる。いずれも主として病気の治療に用いるものだ。
神殿勢力の活動が鈍いケーニス帝国において、中流階級以上の者が病気の治療のためポーションを口にする機会は他の大国に比して多い。秋に収穫されたフクレツユクサは、冬場に需要を増すポーションの材料となる。
今年の冬は帝国中に質の悪い病が流行り、リンミン原液はただでさえ例年よりも市場在庫が減っていた。
それがさらに、根こそぎと言ってもいい勢いで買われた。
買い付けを行ったのは特定の商人・商会ではなく、ケーニス帝国の国境にも近い、大陸東部沿岸二カ国の五つの商会だった。
いずれも、金のためなら少々危険な商売に手を出すと噂のある商会で、帝国支配地域に対して密輸ルートを持っているらしいことを帝国側は嗅ぎつけていた。
しかし、この時彼らが行ったのは正規の……それどころか多少高い金を払ったところで構わないという勢いでのまともな買い付けであり、買われたリンミン原液は運河に運ばれ、沿岸航路より南へと運ばれた。
ほぼ時を同じくして、ゲーゼンフォール大森林の南側。
ルガルット王国では『疫病が流行っている』という噂が流れ始めた。
そしてポーションの材料どころか今あるポーション、非魔法薬まで品薄となり、値段が上がり始めた。
これはルガルットの北隣、ゲーゼンフォール大森林攻略部隊の足下たるカデニス公国にも飛び火した。ルガルットの商人が薬を買い付けたのだ。品薄に乗じた国内商人の値段のつり上げと売り惜しみも始まる気配があった。
ルガルットへ多くのスパイを潜り込ませている帝国青軍は、即座に疫病の噂について調べた。
何しろ噂だけは広まっていても、実際に疫病が広まった様子など無かったからだ。
デマによるパニックか、はたまた儲けを狙った山師商人の経済的陰謀かという事態。
帝国当局は、買われたリンミン原液の行き先がルガルット王国であると掴んだ。
帝国青軍は、疫病の噂の出所がルガルット王国の複数の領主と商人であることと、彼らがシエル=テイラ亡国を名乗る魔物どもと接触した可能性があると掴んだ。
ちょうどその頃だった。
カデニス公国で、本当に疫病が広まり始めたのは。
* * *
妙にネズミが多い。
その事に最初に気が付いたのは、カデニス公国の猫たちだったに違いない。
どこからやってきたかも定かでない伝染病は、最初、
衛生を保つ余裕が無く、栄養状態も不良で抵抗力が落ち、薬を買う金も、医者にかかる金も、神の奇跡に縋るため神殿に寄進する金も持たぬ者たちを、
高熱に苛まれる物乞いが、それでも日々の糧を得るために街を歩き、やがて橋の下で反吐にまみれて死ぬ。四肢が黒く腐った死骸を、ネズミやカラスが食らった。
やがて病に倒れる者が社会階級を問わず増え始め、品薄だった薬は払底し、聖職者たちは病魔退散の祈祷に忙殺される。
ケーニス帝国の総督府が対策の必要性を認識する頃には、既に感染は国全体に広がりかけていた。
間の悪いことに未だ占領統治への移行期にあったことから行政は混乱しており、効果的な施策を打てる状況にはなかった。
ルガルットに買われた薬の一部は、買われたときの倍以上の値段で戻って来るという有様。
それですら数が絞られていて足りない。帝国の官僚や青軍兵のため備蓄するのが優先され、市井には回らない。
何者かが、帝国青軍へ協力しないことを条件として闇のルートで薬を売っているという真偽不明の情報まで飛び交った。
カデニス公国は黒い混乱の渦に呑み込まれ始めていた。
* * *
大森林攻略部隊に軍需物資を届けた補給部隊が、荷を降ろしたスペースに休暇を手に入れた兵を積み、北へと向かっていた。
「見ろよ、これ」
揺れる馬車の中、適当なクッションに座り、荷物を背もたれに座って新聞を読んでいた兵士が、扇情的な見出しを同乗する兵たちに示す。
私物や装備品などに囲まれて、めいめい暇つぶしに興じていた兵たちが集まってくる。任を解かれ後方へ帰る最中なので、彼らは緩みきっていた。
「『カデニスにて疫病流行の兆し』か」
「これ地元紙?」
「今朝キャンプへ売りに来てた」
ケーニス帝国は周囲の国を次々併呑しているが、国として帝国に一部に組み込まれても、民間の行動まで完全に区分を取り払うことは難しい。
かつて小国一つを縄張りとしていた新聞社が、帝国に組み込まれても官許を受け、地元と周辺地域の出来事に特化した(つまり、これまでと大して変わらない内容の)地方紙となることはままあった。
彼が手にしていた『カムルハーン日報』はカデニス公国の北隣、今は帝国の一部となった旧カムルハーン地域で発行されている新聞だった。
紙面には恐ろしげな挿絵付きで件の病気の症状が解説され、カデニス公国で感染者が増えて薬不足が起こっていることや、ゲーゼンフォール大森林に現れた"怨獄の薔薇姫"の関与を疑う識者のコメントなども書かれていた……疫病は邪神が生みだして人族に差し向けた災いであるとされ、流行に際して悪魔や魔物の暗躍を疑うことは(大抵濡れ衣だが)別に間違いではない。
「簡単に人が死ぬような病気なんだろ?」
「ああ……危ないところだった。良い時期に休暇が取れたぜ本当に」
「どうかな。休暇が終わって俺らが戻って来る頃には、余計に酷くなってるんじゃ」
「そしたら俺は配置換えを願い出るぜ。最前線は『二等臣民』どもに任せときゃいい」
「違いない」
兵たちは何かを蔑むように笑う。
彼らは皆、生まれも育ちもケーニス帝国という身分だが、新たに征服され帝国に取り込まれた国々の民は働きによって『臣籍』を手に入れるまで一段下の扱いをされる。軍への徴兵者もそうだった。
最前線で危険な仕事をするのは『二等臣民』たちの役目であった。
もし今後、疫病の流行が更に広まるようであれば、大森林攻略部隊には『二等臣民』の兵が増えることだろう。
「俺たちの分の薬はあるだろう。どうせ」
「しかし長引けばどうなるか分からんぞ」
「軍だけが無事でもダメだ、足下に疫病が広まれば金を撒いても人が動かなくなる」
「おっ。インテリは言う事が違うな」
「まあ、本国から薬が送られてくればカデニスのような小国一つごとき浄化できるだろう」
やいやいと兵士たちは好き勝手に論評する。
総じて彼らは他人事だ。
自分たちは安全圏に居て、なにかあっても守られるのだろうという楽観があった。
その推測はおそらく正しいのだろうが、しかし、少なくとも他人事ではなかった。
馬車の隅の薄暗がりに光る目がある。
チョッキを着て軍帽を被ったネズミが、腕組みをした人臭いポーズで荷物の狭間に座り、人々の話に耳をそばだてていた。
2巻の書影が公式で公開されましたので、改めて告知させていただきます。
怨獄の薔薇姫 書籍版2巻は7/4(土)発売です!
詳細は活動報告にて。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/977381/blogkey/2592440/
上記の活動報告で、書籍化に際しての改稿について語ったりとか、2巻で登場するキャラの設定画なんかも公開してます。
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