私はこれで会社を辞めました 第23話 | 半世紀少年乃皮膚筋炎間質性肺炎闘病日記
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半世紀少年乃皮膚筋炎間質性肺炎闘病日記

2017年に皮膚筋炎(抗ARS抗体陽性)と間質性肺炎(非特異的間質性肺炎(NSIP))を発症。
2018年、憩室炎で2ヶ月連続入院。
妻と娘、息子、犬、猫、みんなに支えられて生きています。
2019年、独立して商品企画コンサルタントになりました。


テーマ:

2冊目の書籍

「必ずヒットする最強の商品をつくる発想法」

の見本誌が来ました。




本になってる!照れ


5月中旬発売くらいには

買えるようになると思います。




さて、

私はこれで会社を辞めました 第23話です







2009年になるとまた上司が変わった。



10年連続で2年同じ上司が続いたことがない。




この会社でも

こんなやつおらんやろ

いうやつが私だった。

 


次の上司は、生産上がりのHY取締役。



経営企画もやっていて、

社長の入社時の上司と言うこともあり、

個人的には大きな実績は知らないが、

取締役になっている。



 

前年このHY取締役が、私のところに

来てこう言った。



「社長はおまえの働きにご満足されてない。東京に行って営業を立て直してこい」と。

 


即座に断った。


息子が受験と言うこともあり勉強を

夫婦で見ていたと言うこともあったが、

転勤もしたことのなく、

実績も知らないおまえに

言われたたくないんだよ。

おまえが一度くらい転勤や出向してから

命令しろ。

 

これがホンネだ(笑)



社長の腰ぎんちゃくで、常に社長の意向を

伺うので社内であまり好かれていなかった。


 

尊敬するSS執行役員は朝9時には出社する。



HY取締役は執行役員のころから

重役出勤だったので、

尊敬するSS執行役員も


「あいつは何様だ」


とよく怒っていた。



 

私は社長に直接に



「今回の転勤にお応えすることはできません。

しかし、社内のルールで断れないのはわかってますから、問題であれば退職します」


と言った。


異動、転勤をして、ある程度の実績を上げ、

徹夜してでもやるべきことをやってきた。


残業代なんてもらわない。

金や名誉や地位のためではなく、

ひたすら業績を上げることに貢献してきた

はず。



やるべきことをやる反面、

納得のいかないことは受け入れないたち

だったので、こういう答えになる。



違う上司が転勤を頼んだら、

多分受け入れたろう。



 

事の発端はSA執行役員との会話の中で、

東京の建て直しをしなければと

いう話のときに、私だったらできると

冗談半分で言ったことを、SA執行役員が

HY取締役に言ったのだろう。



ここで、SA執行役員とHY取締役の

親密な関係が理解できた。



SA執行役員も、転勤、出向経験はなく、

平気で社員を転勤、出向させるタイプの

人間で、社長、会長にべったりで、

私にとって尊敬に値する人間ではない。

 



ただ、こういった人が出世していくのが

世の常なのだなと、自分にはできない

立ち振る舞いを、ある意味すごいなとは

思ってみていたころだ。

 


 

結局、2009年に辞令は、経営企画部門に

マーケティング部を異動しその部長を

HY取締役の部下としてやることになった。




さらに、東京にマーケティング部門の分室が

でき、そこの部長も兼任という折衷案に

なったので、毎月数回東京の事務所に

出社するという生活になった。




本社ではHY取締役、

東京ではTT営業執行役員が上司という、

ダブルボスとなったが、

双方マーケティングに疎く、

報告はするが、企画の相談をしてもまともな

答えが帰ってこないので、

淡々と自分の信念に基づいて仕事を

することにした。

 


つづく