私はこれで会社を辞めました 第22話 | 半世紀少年乃皮膚筋炎間質性肺炎闘病日記
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半世紀少年乃皮膚筋炎間質性肺炎闘病日記

2017年に皮膚筋炎(抗ARS抗体陽性)と間質性肺炎(非特異的間質性肺炎(NSIP))を発症。
2018年、憩室炎で2ヶ月連続入院。
妻と娘、息子、犬、猫、みんなに支えられて生きています。
2019年、独立して商品企画コンサルタントになりました。


テーマ:

2008年はSA執行役員の下で仕事をしたが、

上司は、企画に関しては無知で

あったので私に関しては放任状態。


企画に興味がないのか、

商品の企画もなかなか進展せず、

営業の単発の依頼に振り回されていた。



秋になるとそのときがやってきた。



米国の投資銀行リーマン・ブラザーズの

経営破たんに端を発した

いわゆるリーマンショックである。



 

文具事務用品の世界は

だいたいこういったときに影響を

受けるのにタイムラグがある。

 

大手金融、大企業があおりを受け業績悪化、

その下請けである中小企業が業績悪化し、

コストカットを始める。

するとようやく文具事務用品メーカーに

影響がで始める。


なぜか経費節減と言うと、コピーの節約や

事務用品の購入制限などが始まる。


正直効果は薄いと思うが、「啓蒙」の

意味でやるのだろう。



数ヶ月後にリーマンショックのあおりが

やってくる。



 

時が来ると、売上はジェットコースターの

ように下がりだす、10億、20億と。



国内営業は145億あった売上が

136億(2008)、121億(2009)に。



海外営業は44億あった売上が

41億(2008)、33億(2009)に。



2009年は35億の売上減になってしまった。



 

私が中期計画担当をして2005年に

発表した計画に関してだが、

実行部隊として担当した国内営業分は

2005年、2006年、2007年と、

ほぼ達成で、常に右肩上がり計画通りに

経営は進んだ。


 

それがリーマンショックでいとも簡単に

崩れてしまったのである。



 

期末が3月なのだが、

需要期も2-4月のこの会社。



期末に商品が売れるのだが、

ここで私が考える経営とは逆の判断が

社長からでる。



「期末在庫を絞れ」と。


在庫は絞っても損益上大きな影響はない。

もちろんキャッシュフローに影響するので

無駄な在庫を持つ必要はないが、

現場は主力商品の在庫を絞り、

売れる時期に大欠品を起こしてしまう。



 

それも利益の一番高い主力商品を軒並み欠品。




これには、


大丈夫かこの会社?と思った。

 


経験のない不況だったのだろうが、

期末に主力商品を絞るのは自殺行為である。


 



売上が悪いうえに、儲かる売りものまで

絞ってしまった結果、業績は悪化。



 

賞与も一般社員は少し出たが、

我々管理職は賞与カットで、

入社以来始めて賞与がないという事態になった。


 

そもそも年俸制だったのだが、

総務部門から、業績悪化の場合は管理職の

期中賞与で調整するという方針が出た。




年俸の中から賞与対象金額を会社に預け、

業績によって調整するという

おかしな制度が2009年から始まったのである。





 

そもそも、それを年俸という時点で

おかしいと思うのだが。

給与制にして変動経費にしたくないらしい。




面倒なことを避けて通る、

管理部門らしい発想だ。





結果軽自動車一台分くらいの賞与がゼロに。




 

こうなると社内の人間関係は最悪である。



誰が悪い、どの部署が悪いのオンパレード。



ギスギス感がすごい。


 

そう言う私も営業企画部長と折り合いが

極めて悪かった。



 

こちら側だけの意見を言えば、

出す新商品にことごとく文句をいい、

それでいて営業内での政策の先導を

するわけでもなく、大阪弁で理想論を

まくし立て、自分自身はあちこち出張して

現場にいない。





結局、開発や生産部門は

「営業は何をやっている!」




営業は

「まともな新商品出せや!」




売り上げができない言い訳を、

社長にささやくことが偉い人たちの

日課になり、部門間という内部の論争を

している間に経営は赤字になっていく。




この会社の悪い部分が露呈する。

 

つづく