2006年のトピックと言えば、ユニクロ企業コラボTシャツに採用されたこと。
まぁ企業には一銭も入ってこないのだが、
PRとしては面白い。
私が窓口と責任者をやっていたので、
発表会に参加した。
後でも述べるが、比較的引き寄せ力が強いのか、
こういった話が舞い込んでくるような気がする。
発表会での柳井会長のご挨拶。
2007年になるとまた上司が変わった。
今度はMM執行役員。マーケティング室のなかの商品企画部部長という役職で、本社から移動し開発部門のある稲沢の事業所の勤務となった。
以前生産部門の人が言っていた言葉、
「親子丼は所詮親子丼。かき混ぜてもカツ丼にはならん」
これは、いくら組織をごちゃごちゃ動かしても、人間が変わるわけではないので組織変更をしても仕事の質はさほど変わらないのに、組織を変えることを仕事にしている上層部を皮肉ったもの。
同感だ。ここ10年近く毎年上司が変わる身にもなってほしい。
私が使いにくいので、たらいまわしにされている感じは否めない、というより実際そうなんだろうとあきらめてきた。
2005年に始まった中期計画は何とか予定通り進捗している。
2005年、2006年と計画を達成。
私は人間が使いやすかどうかには興味はない。
周りの人の評価も関係ない。
目標が達成できたかどうかだけが、
評価のバロメーターだと思っている。
こんなことをいっては何だが、比較的ラッキーボーイだと自分で思っている。
行く部署、行く部署で成果が上がっていることも事実で、まわりは気づいていないと思うが結構高確率で幸運を呼び込む傾向がある。
商品的には、深澤直人氏との共同作業の商品を次々と出し、全体のデザインアイデンティティの統一を着々と実行してきた。
デザインに興味はない人にはわからないかも知れないが、高級筆記具のモンブランがパッと見てモンブランとわかることやアウディ、ボルボなどの欧州車が強烈なデザインアイデンティティをもっているからひと目でメーカーがわかるなど、一見どうでもよいことは長期的には重要なことだと私は思っている。
コア商品のモデルチェンジをしながら、今まで扱ったことがないような商材を並行して発売して、既存品の維持と新商品での積みあげをコツコツとやって目標達成に真摯に向き合ってきた結果でもある。
実際には、私が現場を離れた近年は、デザインランゲージは無視されてきた。
結局、作りやすいモノ、偉い人が気にいったモノが優先される世の中なのだ。
MUJIやアップルなどのように、上層部がデザインを充分理解していないとインダストリアルデザインの統一は無理なのだと理解した。
新しい上司としては、商品企画に集中させるために、書く貼る捺す綴じる展などの見本市業務はもうさせたくなかったようだが、東京の営業執行役員が、私にやって貰わないと困ると社長に直訴したため、継続して見本市業務は継続することとなった。
正直、市場を知らない開発系メンバーとの仕事だけでは退屈だったのでちょうどいい。
2005年にお手並み拝見ではじまった営業との関係は、とてもよい形で構築されていたのだろう。
つづく