東京交通会館の12階の片側会場を借りて実施した見本市だったが、午前中は順調に進んだ。
自社の企画で進行し、当社の社長もご満悦だ。
この年から副社長が社長に、社長が会長になった。
午後になるとかなり会場が混雑し始め、夕方になると1回エレベーターの前から交通会館を取り囲むように列になってきた。
思わぬ誤算だ。前年1400名くらいに来場だったと思うが、とっくにそれは超えてる。
会場が12階なのでエレベータを使うわけだが、来る人も帰る人もあふれ出した。
個人的にはハプニングが大好き。
突発的な事態に対してどこまで対応できるかがビジネスマンの能力の分かれ道だと思っている。
各社の実行委員と無線で連絡を取りながら、エレベータ、階段、会場、ロビーなどの整理とお客様の誘導を行い、今では考えられないが交通会館の1階と12階を階段で何往復もしたものだ。
1日目のお客様が見本市の内容と手土産の豪華さを会社の人に伝えたので2日目は更なる混雑。
お土産も当然足りなくなり、さいたまの物流センターから商品を取り寄せてバックヤードでお土産作りも並行して行う。
19時にはピークを迎え、入場制限をせざるえない状態に。
会場にすら入れない人を残して、盛況のうちに終了した。
翌日から、営業担当者が取引先にお詫びにあがることになった。
お客様にはご迷惑をおかけしたが、各社社長、社員は大成功にニンマリ。
企画冥利に尽きるものだ。
この後各社から一目置かれる存在となり、人脈も広がった。
この年は、ほとんど上司であるMH常務執行役員とは交流も少なく、社長案件や営業案件を中心に飛び回ることとなった。
そんな時、前の年の上司SS執行役員は海外部門の建て直しにいっており、海外の代理店会議で国内の取り組みをプレゼンテーションしてほしいと依頼があった。
正直英語は得意でないし、海外の人たちの異質な感じが好きではない。
なにか、英語が話せることを盾に、人を小ばかにしたような人が多かったのは事実だ。
しかし、唯一尊敬するSS執行役員の頼み、断るわけにいかず引き受けることにした。
つづく