2019年会社を辞めて、独立するまでのお話。
楽しかったこと、ムカつくこと全部吐き出します。
私はこれで会社を辞めました 第12話
2005年は少しだけ商品を出して幕を閉じた。
新しい試みとしては、米国のパーカーペンプロダクトとの共同開発品だろう。
内部の構成や設計部分は自分でほとんどやった。とても面白い仕事だった。
2006年になると、また上司が代わった。
MH常務執行役員になった。
コア商品のリニューアルプロジェクトの関係で、多くの商品は出せないが投資を抑えながら基幹商品の売上を落とさないように見本市などの商談会に力を入れた年だった。
まずは自社単独の初めてのプライベートショウを名古屋、大阪、福岡で実施。企画に準備に飛び回ることととなる。
単独の見本市は東京は実施しなかったが、別の見本市の計画がありそちらも責任者となった。
東京での見本市は「書く貼る捺す綴じる展」という見本市で一般消費者を招いて実施するものだ。
前年にゼブラ、ヤマト、キングジム、ぺんてるで企画実施し、目標の集客に届かず2006年に当社を含めて6社で再度仕切りなおしというものだった。
各社の代表が出席し基本プランを練るわけだが、多くの会社は派手さや客寄せパンダの話が多い。
私の提案は2点。
お客様は文具を見に来ているのであって派手な装飾や客寄せパンダを見に来るのではない。
前年は、それぞれの会社が場所を陣取り展示をするという極めて普通の展示だった。
私の提案の1点目は「お客様は各社の文具を比較してみたいので、メーカーで場所を分けない。商品カテゴリーでゾーンを分ける」というものだった。
これによりぺんてるとゼブラが並んで説明したり、ヤマトとニチバンが並んで説明したりすることになる。
未だかつてないタイプの見本市になるが、お客さんはどのボールペンがよいか見比べたり、どの油性ペンが自分の用途に合うかを一箇所で検討できるというメリットがある。
もうひとつは、各社持ち寄ったサンプルをケチらずにお土産として出すこと。
この2点を強調して提案。
見事採用されることとなる。
普段は競合メーカーなのだが、その社員が肩を並べてお客様を迎えることなんてまずない。
面白い取り組みとなった。
このスタイルは私が提案したものだが、今でもこの方式で展示会は続いている。
こういった企画関係の仕事に関しては、ガンガンいくタイプなので、各社を圧倒しながら自分のペースで物事を進め、メンバーからの信頼を勝ちとっていった(と思う)
今でもそのメンバーとは交流がある。
さて、見本市当日。企画には自信があった。展示や土産もバッチリ準備した。
が思わぬ展開となる。
つづく