今日は午前中はバタバタと忙しかった。
やっと落ち着いたので、
2019年6月に会社をやめるまでの
紆余曲折をお話します。
「私はこれで会社をやめました第8話」です
2003年ごろから部長級の人たちがなにやら会議をすることが多くなった。
元上司である部長を中心に中期計画をつくっているらしい。
私自身は課長であり興味はない。
副社長が社長になるときの花道としての計画作り。それもいいではないか、と半ば対岸の火事で傍観していた。
私の調査部門は、おかしなことに副社長直下の部門だった。
ある日、副社長に呼ばれ、対岸の火事に飛びこむようにという業務命令がおりた。要するに中期計画策定の事務局をやれと言うことだ。
社内コンサルタントとともに内部調査、外部調査などを進め、SWOT分析や社員満足度調査などを実行し、経営計画なるものを策定すべく動きだした。
正直、口だけの人間が多く、調査や分析に長けた人間はいない会社だから、細かいことが好きでそれなりに責任感が強く、人をまとめられる人材として白羽の矢が立ったわけだ。
過去にコンピュータフォントを作るプロジェクトをやったり、取締役にも苦言を呈する変わり者だったのでちょうどよかったのかもしれない。
基本的に、部長級まで偉くなった人たちは、口で好きなことをいう。
資料を作る人は少ない。
経験と勘が頼りなわけである。
しかし、経験と勘で中期計画をつくるわけにはいかない。
事実とデータによる客観的な判断をしないと必ず失敗すると確信した私は、部長級の言っていることや提出してくる断片的資料をまとめながら、市場のシェア、現状の商品、事業の今後の予測を計算した。
全くデータのない会社だった。
商品のシェアは日経リサーチで調査した一次データや矢野経済などの2次データをあわせて、あとは営業の現場などの感覚で補正し作成。
売上の80%を占める商品群をコア商品と位置づけ、将来需要の予測を作成。
売上の80%と利益の80%は国内事業で出ている会社だったので、国内事業を基盤事業と位置づけ詳細を分析。
業務終了後にさまざまなデータが集まってくるので、一人で朝4時まで作業することも多く、人生で一番頭を使った時期かもしれないと思う。
2004年は、さらに大きなプロジェクトに巻き込まれていくのであった。
つづく