志村けんさんが亡くなられました。
ショックです。
新型コロナウイルスの怖さを目の当たりに
することとなりました。
専門家がテレビで偉そうに
コメントしてますが、
専門家なんて存在しないのです。
未知のウイルスだから、
専門家はいないにもかかわらず、
専門家風の人たちの過去の経験で、
風邪に毛が生えたようなもの、
たいした事はない、
子供には感染しないなどのいい加減な
コメントに踊らされて、
厳しい措置をしてこなかった結果です。
非力な国民一人ひとりでは何も
できないことがもどかしい毎日です。
過去の経験が判断を鈍らせる。
これは気をつけないといけない教訓です。
会社を辞めたの第7話です。
2003年になって、市場環境調査課と
いう部署の課長となった。
36歳であった。
課と言っても、課長一人、兼任の部下2名というお粗末な部署で、特に業務分掌も与えられていなかったが、副社長(現社長)の直下だったので、思惑があったのだろう。
実際に思惑があったのだが。
まず、前年にヒットした「おなまえスタンプ」で習得した、梅澤メソッドを社内で展開するために稟議書を書き、梅澤先生に直接指導をお願いした。
一年を通じて、実際にグループインタヴューの仕方から分析、コンセプトづくり、調査、設計品質作り、表現コンセプトなどの一通りの方法を企画、マーケティング、開発、研究の中堅20人ほどを集めて実施したのだ。
この手法に興味がない人間も多いが、いままでの思いつきの開発をやめなければ、この会社に売れる新商品は出ないと考え強行したかたちだ。
現に、まともな新商品がでずに、苦戦し、会社の計画は「売上拡大」ではなく、「コストダウン」のみの経営計画になっていた。
コストダウンが悪いわけではないが、コストはゼロやマイナスにはならない。
成長には、売上の拡大は必須なのだ。
コストダウンは最後は人件費に手をつける。
つまり社員の生活が脅かされる。
これは成長戦略ではない。
できてもできなくても、上向きの計画で前向きに頑張らないと意味ない。
当時のKM専務から、人を育てるのに云千万くらい安いものどんどん鍛えてあげなさいといわれたことは後押しになった。
当時はそんな協力的な役員も多かった。
一年の研修を終え、発表会を行った。
大変な額の研究費を使ったわけだから、報告するのは当たりまえだからだ。
メンバーが考えた企画をチームで発表し、講評を役員、管理職からいただくスタイルで、まあ学芸会の発表みたいなもんだ。
社長(現会長)から、質問が来た、「それでこれらの商品はつくってみたのかね」と。
私は説明した、「つくる前に売れるかどうかを調査して売れるモノだけを開発する手法ですので、まだ作ってはおりません」と。
商品はつくってから、考えるという従来のやり方から見れば、異質だったのだろう。
その考えを変える、つまり、売れないものはつくらず、売れるモノだけを開発するという理想を実現しようとしていたのだが、なかなか時間がかかりそうだ。
のちに、この会社を変えようという行動と反対勢力が私の大きなストレスになってくる。
研修をやっている最中に副社長の思惑が動き始めた。
つづく