さて、売れる商品とは何かがわかったきっかけであるのが、私が担当した「おなまえスタンプ」の企画である。
当時は、黒子に徹する意味で全て「みんなでやったこと」にすることが美徳だったが、もう気を遣う必要もない。
今でも企画書が保管してあるが、調査、分析、企画書、アイデア、ほぼ全て私が作りメンバーの承認を得るカタチだった。
メンバーだった亡くなった当時の開発課長が、一晩で考えてくれたのが、細い鉛筆に押すためのガイドだった。
持ってきてくれた時、うれしくて、「すごくいい!採用!」とコメントした覚えがある。
ワンチームだったなぁ。
若手の有志のチームの発案で、取締役会ではOKがでたものの、営業の役員からは、投資が金型投資が2,000万円もかかるならやめちまえとも言われた。
設計メンバーは、できるだけお金がかからない構成を検討。
印面の版下などは私が自前でデータ作りをして費用を抑えた。
なんとか問題を乗り切り、発売した結果、新入学用品の商談は秋くらいだが、実際に商品が出たのは年明け、店頭配荷は2月と正直最悪な商品化計画だった。
とても反省している。
営業の店長会議などで説明しても反応は薄い、さすがに期待されていないプロジェクトだけあって盛り上がり感ゼロだった。
文具業界では当時1月に新年のご挨拶を兼ねた見本市が東名阪で行われるので、これが最初で最後のチャンスだった。
商品の量産が間にあわないので、モデルを作成し、東京、大阪、名古屋と同じモデルを持ち回り商談し、一定の店頭設置はなんとかできた。
そこから驚くべき結果が出始める。
設置した店からリピートが次々と入りはじめ、注文が多すぎて受注残が出始めたのだ。
今まで、丸善などの店頭でも、奥のほうに印判コーナーはあり、新商品はひっそりと発売され、暗いスペースで売られたいたのが、どうだろう、お店の入り口にでかでかと陳列台が設置されているではないか。
当時の営業マンがこんな場所に商品がこんなに並んだのははじめてと言っていたのが印象的だった。
それは、成功商品開発メソッドが有効であることを証明した瞬間でもあった。
つづく