2020年7月から独立した私ですが、1000万を超える年収と執行役員への昇格人事を10秒で断って退職した理由を不定期で記録していこうと思います。やられても立ち上がる。皆さまの参考になれば幸甚です!
売れる商品がわかったことが人生の転換期でした。今思えば良かったのか悪かったのか、、、
私は、2001年当時子会社化していた大阪の文具チェーン三協堂へ出向をしていた。
なんかよくわからなかったが表向きは量販営業と新規事業担当。裏では子会社出向という不思議な待遇。
三協堂は大阪で大規模な文具チェーン店だったが、粉飾決算などで経営が悪化。
再建のために社員を派遣していたなかで、私に白羽の矢が立ったわけだ。
負債額8億円を最小に抑えるため、店舗縮小、コストカット、在庫削減などの努力はしたが、最終的に三協堂は残念ながら会社清算をし、株式会社三協堂は有限会社三協堂に営業譲渡とした。
文具店は夏場の売り上げが落ち込み、年間が黒字でも夏場に資金がショートする。その為当時一緒にやっていたT社長は本社に資金を借りに行っていた。
会社は最後まで大阪の文具チェーン店を支えてくれたことはすごいと思う。
最終的にT社長と私は負債を数億に減らして収束させたが誰一人感謝するひとはいなかった。
本社では心無い管理職から「三協堂が感染(うつ)るわ」と言われた。
好きで出向したわけではないのに、金をせびりにくるヤツという扱いだった。
清算のためダイエーからの退店、店の現状復帰工事の立ち会いは全て私がやった。
清算によって職を失う社員がやってくれる訳がない。
ダイエーのベンチで寝泊りし、近所の銭湯に行く日々が何日か続いた。
三協堂の社員が露頭に迷わないように、社員に譲渡する店舗は改装した。
コクヨに店舗設計を頼む金もないなかで、自分で図面を書きデベロッパーと交渉、アケボノ、ユーキ、丹下といった問屋さんに改装応援を頼み、残った社員のために売れる店に改装した。
千里中央の店は私が図面を書いた店だ。
やっと売却、譲渡する店舗を残して清算が終わったが、本社からの呼び戻しはなかった。
つづく