ほぼ日刊イトイ新聞

2020-06-21

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人の、愛したい愛されたいという気持ちについて、
 こころの深いところで、しみじみ考えてしまった。

 たまたまNHK教育テレビを見ていた。
 そこで、長女たちだけ集まった座談会というのがあって、
 小学生で、妹や弟のいる長女たちが、
 長女ならではほんとの気持ちを語る。

 ひとりの女の子がこんな「提案」をする。
 「週に一度くらい、おかあさんとふたりだけで、 
 買いものとかに出かけたい」。
 おかあさんとふたりだけになりたいのだそうだ。
 別の子は、「寝るとき、おかあさん、
 ときどきは、こっちを向いて寝てほしい」と言う。
 いつも弟や妹のほうを向いているのが、さみしい。
 だから、おかあさんの手をぎゅっとしているのだけれど、
 眠りにつく前に、手を離されてしまうと悲しいと言う。
 どちらの子も、さみしそうな表情をしていない。
 街で出会ったら、幸せそうに見える子だと思う。

 長女は、こんなふうな気持ちなんだということを、
 たいていの人は、知識として知っている。
 弟や妹ができてからさみしい思いをするものだと。
 しかし、「もっとさみしい」のだと、ぼくは知った。
 番組に出ていた子どもは、それなりに、
 もうすっかりお姉さんらしい年齢だったから、
 こんなに甘えたいというか、
 愛されたいと思っているとは想像していなかった。

 ただ、彼女たちは、その気持をことばで言えている。
 これについては、恵まれているんだろうなぁと思った。
 比べるというわけでもないけれど、
 子どものころのぼくには、それはできなかった。
 「もっと愛されたい」と、いちおう言えるということは、
 いちおう言える分だけ、すでに愛されているのだと思う。
 ぼくは、愛されたいとか甘えたいとか、
 子どもがそう思ってもいいものだとは、知らなかった。
 だから、たぶん、がまんしているとも思わなかった。
 そういう人も、それなりにいるのだろうな。
 人は、想像以上に、愛し愛されたがる生きものなんだな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
子どもは、ものすごくたくさんのことを教えてくれるなぁ。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る